わたしの身体はままならない <障害者のリアルに迫るゼミ>特別講義

わたしの身体はままならない: 〈障害者のリアルに迫るゼミ〉特別講義

 ほんとうに様々な生き方があることを知れる本でした。

 

P3

 ひとりの人間が持つ視界には限りがあり、世界の見えかたも多層だったり分断されていたり、食い違ったりしています。この国の姿、隣人のこと、少し未来の自分すらおぼつかない、心もとない、ままならない……でもそんな、ないない尽くしのフィールドに立って、独自の手段でぐいぐいと進む―そんな一五人のレポートが本書です。

 そのアプローチや身のこなし、「こんなふうに生きてるよ」という報告は、昨日のわたしたちの視界を晴らし、先へと誘います。異なる環境にあるわたしたちが、この不安定で複雑な世界をわからない他者とともに生きる、その一助になれば幸いです。

 

P179

 私にとって「障害者」とは、長らく、〝人里離れた場所でクッキーを作る人〟だった。「障がい者が作りました」というシールが貼られたとてもシンプルなクッキーを、母親がよく買って来た。・・・

 そんな私が、「障害者のリアルに迫る」ゼミの運営に携わった。その中で様々な「障害者」と出会った。・・・

 ・・・私は「障害者」の「隣人」としてこの稿をしたためたいと思う。

 ・・・

 岡部宏生さんは私がこの世で最も尊敬している人のうちの一人だ。ALS(筋萎縮性側索硬化症)、徐々に全身の随意筋が動かなくなるという難病。移動はストレッチャー、胃ろうと呼吸器をつけ、24時間体制の介助がなければ生きてゆけない。はじめのうち、常に真顔で、とても据わったような眼差しをしているので、何もかも見透かされているようで怖かった(実際、見透かされているのかもしれない)。2年かけてようやく、「今笑ったな」「今日はちょっと機嫌が悪い?」と表情を読み取れるようになってきた気がするが、当たっているかは分からない。

 岡部さんは時々学生を自宅に招待し、手料理を振る舞ってくれる。実際に手を動かすのはヘルパーさんだが、献立や食材・調理方法は全て岡部さんが指示する。いつか食べたチーズ入りのポテトサラダの味が忘れられない。年始、岡部さんの家の新年会に呼ばれて行ったら、今年の目標として「死なないように適当に」と掲げられていた。岡部さんにとっての死なないギリギリの「適当」のラインってどこにあるんだろうな、と思った。

 ここではとても紹介しきれないくらい、沢山の人との面白い出会いがあった。でも、「障害者は面白い」とか「障害者はすごい」とか主語の大きなことを言うつもりはない。確かに彼らの「障害」にまつわる体験は求心力のあることが多いけれど、「健常者」に対して色々な感想を抱くように、誰に対しても色々な感想を抱くのが〝自然〟なことじゃないかと思う。「障害者のリアル」なんてものは存在しなくて、個々の「リアル」があって、それを受け取る人の反応も千差万別で良いはずだ、とそう思いたい。

 

P192

 最初は友人と二人で半分ずつの量で足りていたのが、一日2本、3本と量が増えていった。・・・咳止めシロップを飲みながら喫茶店でアルバイトをしていたのだが、勤務中にトイレに行きますと言っては薬局に行ったり、レジからお金を盗ったりし始めた。・・・1本1000円ほどで、最終的には一日に10本飲むようになった。・・・消費者金融で借り始め、返しては借りを繰り返して最終的には8件で借りてしまった。・・・親に見つかり、薬を使って借金まみれになってしまったと初めて打ち明けた。・・・泣きながら謝り、「ごめんなさい。もう薬は使わない」と約束はしたのだが、自分の脳みそが半分に分かれている感覚で、一方では「俺は何をしているんだ。大切に育ててもらってこんなことになってしまった。ちゃんと生きないと」と悔いているのだが、もう一方では「見つかってしまった。これから薬が使えなくなってしまう」という考えが浮かんでいた。・・・

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 また借金の督促状が家に届き、親にばれた。今回は許してくれるはずもなく、「そんなに薬が使いたいなら、使って死んでくれ」と言われた。親にそんなことを言わせるまで迷惑を掛けて追い込んでいた。自分でも「もうそれしかないなぁ」と感じ始めていた。

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 ・・・そんな自分に対して姉は色々調べてくれていたみたいで、新聞記事で「東京ダルク」のことを見つけてくれた。・・・

 ・・・

 ダルクでの規則は1日3回のミーティングに出ることだけであった。・・・自分が入寮して2ヵ月くらいして、一人のなかまが繋がって来た。ボストンバッグ一つで、小指もなく強面でいかにもその筋のという感じの人であった。そのなかまは何故か自分のことを可愛がってくれ、一緒にご飯を食べに行ったり、銭湯に誘ってくれた。そのなかまは夜になると、みんなが散らかした部屋のコップを洗ったり、片づけをしたり、トイレ掃除までしていた。自分は手伝いもせずに、「この人は誰も見ていないのに何をしているのか?褒められたいのか?」としか思えなかった。なんの得にもならないこと、人の為になることを黙々とするなんて思い付きもしなかった。

 あまりにも不思議で何日かして「なんでそんな得にもならないことを続けてるの?」と尋ねると、思いも寄らない答えが返ってきた。「俺は刑務所から出て来て行くところもなく、お金も何もない。ダルクに拾ってもらったお陰で今は薬を使うこともなく、命を助けてもらった。でもお返しできるものが何もない。感謝している気持ちをどう表したらいいか考えたら、こんなことしかなかった。みんながいる時にするのは照れ臭いしなぁ」ということであった。

 その言葉に正直びっくりした。・・・俺はというと自分のことしか考えていなくて自分さえ得をすればいい、悪いことをしても見つからなかったらいいという生き方をどれだけしてきたのか。しばらくしてそのなかまはスタッフのお手伝いをするようになった。それでも威張るわけでもなくそれまで通りに自分に接してくれた。

 ある日のこと、咳止めシロップを使っているところを見つかってしまった。怒る訳ではなく悲しそうに「さとしくん、悲しいよ。そんな生き方は止めて一緒にやっていこうよ」と言ってくれた。涙がこぼれた。薬を使うとか止めるとかよりも、もう一度、この人と心から笑って過ごしたい、と思った。

 生まれて初めて自分から「助けてください。自分の力では止めることはできません」と言えた。群馬の病院で1ヵ月の入院を経て、退院してからも薬を使わない日が続き、ダルクを退寮することになった。アルバイトも始めていてNA(ナルコティクス・アノニマス:世界各地にある、薬物依存からの回復を目指す依存症者の自助グループ)にも通っていたのだがある日、歯が痛くなり鎮痛剤を買ってしまった。初めは鎮痛が目的だったがすぐに効かず、気が付けば何錠も飲んでいた。それからはあっという間に咳止めシロップを飲むようになり、以前よりも酷い状態に陥った。このままでは死んでしまうと思い、東京ダルクでスタッフをしている頃から慕っていて、地元の名古屋に戻りダルクを開設された外山さんのところに助けを求めた。・・・

 次の日から新しい生き方が始まった。・・・咳止めシロップの離脱症状は酷くて2ヵ月くらいは微熱が続き、鼻水が止まらない状態だった。辛かったがなかまがいてくれた。今までならすぐに投げ出し現実から逃げていた自分が、それでも逃げずに薬が止まっていくのが不思議で仕方なかった。ある時、外山さんに「自分でも薬が止まっているのが何故か解らないんですよ」と質問した。その答えは「自分の力を使って止めることを止めたんだよ。覚悟を決めたということ」とシンプルだった。