見えるものと観えないもの

見えるものと観えないもの―横尾忠則対話録 (ちくま文庫)

 横尾忠則さんの対談集をまた読んでみました。

 こちらは30年前のものですが、やはり興味深かったです。

 ここは吉本ばななさんとのお話です。

 

P64

横尾 人間相手にやってると、腹立つこともあるし、理解してもらえないこともある。だから、よその星からちょっとここに遊びに来てるという感覚で、読者はカッパとか天使でいいと思うのね。ぼくだって、美術界を相手に仕事をしているって思ったら、どうしようもないですよ。だって、美術界のために貢献するとか、奉仕するとか、そんなバカなこと、でも大部分の美術家は考えてますけどね。

 

吉本 これを見て、人がどういう感想を抱くだろうと考えたことありません?

 

横尾 以前は考えた。今はそれは考えない。自分がどう思うかっていうことですよね。

 

吉本 その想いみたいなものを、とにかく直接伝達しようということですか。

 

横尾 〝想い〟っていうのは、ぼくは一つのエネルギーだとおもっているのね。〝考え〟っていうのは思想でしょう。絵画の場合、そこにイメージを定着させますね。そうすると、見る側はそこに意味性とか象徴されたもの、あるいは記号とかを分析して認識するだけなんですよ。「うん、わかった」と。自分の〝考え〟で描いた作品というのは、どうしてもそうなるわけで、一方、自分の〝想い〟で描いた作品というのは、見てもそんなふうなことをいちいち認識できないんですよ。感情のエネルギーとしてワーッと伝わってくるから、ドーンとくる。そのほうが大事だからね。伝えるとすればそれね。

 ・・・

吉本 幽霊のほうは?

 

横尾 最近は全然、見ないですね。ぼくも三十歳くらいまで、まだ見てないっていうコンプレックスがあったの。幽霊を見たとか、変わった経験をした人がいるけれどもぼくはもうダメだなと思ってたの。ところが三十代から始まり出して、いろいろなのを経験するようになったから、全然まだまだぼくは自分にこれから期待しているから。そういう異界との接触みたいなのは期待できるし、ものすごいリアリティーとしてわかるからね。

 ・・・

 ・・・いちばん最初はおふくろの幽霊、そのあとはホテルで……。これは幽霊じゃないけど、・・・目の前がボヤボヤッとしてね。体が十五センチくらい浮いたと思ったと同時に、目の前にビジョンがバーッと映って、向こうから白い服を着た宇宙飛行士みたいなのが来たんです。すぐ宇宙人ってわかった。そして「われわれは、長い間、あなたを見守ってきました。やっとお会いできましたね」って挨拶してね。受送信をもっとスムーズにするために、首のところに器具を埋めたいけど、いいですかって言うわけですよ。それで、そのまま気絶してしまって……。

 それからなんですよ。UFO見たり、いろいろな神秘体験をするようになったのは。

 ・・・

 何にしても、非常に純粋な気持ちでないとダメですね。芸術行為もそうです。宇宙にはアカシックレコードという、人類に必要な記録とか記憶を持ったマザーコンピュータのようなものがあるわけ。見えないけれど、そこからインスピレーションを受けるわけだから、純粋な気持ちを持っていないと、それを受け入れられない。恐れたり、びびったり、執着したりとか、そういうような気持ちがあってもだめだと思う。

 占いとか透視、そういうものひっくるめて、みんな基本的には同じじゃないかな。純粋で謙虚で素直で素朴で、神に対する畏敬の念があるとか、そういう要素ですね。そういうことは誰でも知っている。だけど、いちばん難しい。芸術家でいちばん危険なのは傲慢ですよね。自分の力でやったと思ったとき。ところが霊感によってやったと思ったら謙虚にならざるを得ない。