自分?

横尾忠則対談集 芸術ウソつかない (ちくま文庫)

 自分があったりなかったり・・・印象に残ったところです。

 

 こちらは瀬戸内寂聴さんとのお話。

P113

横尾 ・・・本当の快楽は「持続」するものだと思う。快楽は自然や宇宙の原理原則の軌道に上手く乗れたとき、何もかもがうまくいく状態なんです。

瀬戸内 横尾さんの言うことはよくわかる。自分がこうしてやろうと思って、努力してそこに向かって頑張っても続かないときってあるでしょ。だけど、あるときが来たら全てが上手く働き出して、自分は何も手をくださないのに自分の思う通りに物事が運ぶのよね。

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『コブナ少年』を読んでいると、横尾さんがほんとうにちっちゃいときから「絵を描く」ことに一途だったことがよくわかる。こういう「天才」がどうやってできたのか、その原点がしっかり書かれていて面白いんだけど、私は私でやっぱりずっと小説を書くことに一途だった。だから「何をしていいのかわからない、どうやって生きたらいいでしょう」という質問が非常に不思議なの。

横尾 別に「画家になろう」とかいう強い野心はなかったんだけどね。未来のことを考えているかというと、それも考えていない。基本的に今だって考えません。

瀬戸内 でもずっと絵を描いていたんでしょ。

横尾 うん、絵はやめられなかった。もちろん将来のことも含めて人並みに悩んだ一〇代だったけど、気づいたらいつも絵を描いていて気づいたら勝手に芸術家に憧れていた。だからあの頃は例の「軌道」に乗っていたんでしょうね。それはまさに快楽だったし、今でもあの頃の快楽の感覚に憧れているんです。

 

 こちらは三宅一生さんとのお話です。

P161

三宅 今の社会は、ファッションの業界はとくにそうだけど、コマーシャリズムだとかマーケティングだとかで動いている部分が大きい。でも、そうではなく、個人の力でできることに戻ることによって、何か充足感を得られるようなことができるように思うんです。それはやっぱり、横尾さんが言うように、個人の肉体ということが大切なんだと思うんです。僕にとっては、今、それがとても自然なことなんです。権威とか名前とか、そういったものがない状態で、自分が楽しいと思えることをやりたい、と。・・・

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 誰かに評価してもらうために何かをするのは、簡単とは言わないまでも、できるように思うんです。でも、今は、他人からの評価は関係なく、自分が面白いと思えることを一番大切にしたいと思うようになりました。これからは、自分のやりたいことをやって、自分が生きることを、どれだけ楽しいと思えるか、面白いと思えるかが大事だと思ってるんですよ。せっかく自分はここに存在しているんだから、愉快な存在にしたいなと。ただ、また気持ちが変わるかもしれないし、何かにハマってどこかに入り浸っているかもしれませんけど(笑)。

 

 こちらは、たけしさんとのお話です。

P169

横尾 ・・・ビートたけし北野武と二人いますね。じゃあ、どっちが本当のたけしさんかというと、両方とも本当のたけしさんですよね。

たけし それはよく外国の人が不思議がるんです。コメディアンだというの知ってるし、片一方では映画監督でしょう。インタビューで「どうして二つできるんですか」って聞くから、「自分は人形を二つ持ってるだけだ。北野武という人形を使うときもあるし、ビートたけしで番組に出るときはビートたけしの人形を持っていく。本当の自分は、それを操ってる自分です」って話すんだけど。

横尾 ヨーロッパは、キリスト教社会で一元的だから、そういうふうに人格が二つに分かれたり、多元的に分かれるというのは、一種の精神病的に見られてしまう。

たけし 新聞にでかく出てるんですよ、「偉大なる精神分裂」「偉大なる多重人格」って。何だ、それ。

横尾 西洋人はみんなそう見るんですよ。僕はそういうとき、こういう。「ぼくは日本人で、日本には八百万の神、八〇〇万の神様がいるんだ。僕の中の八〇〇万のパーソナリティをいろんな形のいろんなメディアで表現してるんだから、あなたたちにはわかんないよ」って。