体の声に従う

創造&老年 横尾忠則と9人の生涯現役クリエーターによる対談集

 こちらは李 禹煥さんとのお話と、巻末にあった横尾さんの、全体への感想です。

 

P210

李 横尾さんは自分で描くでしょ?僕はたくさんのいろんなアーティストを知ってますけどね、今、世界でね、自分の手を下して描く人はものすごく少ないです。

横尾 少なくなったね。描くことの中に歓びがあるというのに。

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李 やっぱり自分の身体っていうか、自分自身が空間や時間やいろんなものと関係し合って、さっき言った独特な一つの「トンネル」に入ったような独特な経験の中にいるときに、本当に自分が生きたって感じるんですね。これを人に渡すわけにはいかない。だからそこが身体性だと思う。

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 ・・・身体っていうのはね、小さいけれども、本当は宇宙とおんなじくらいの広がりがあると思うんです。

横尾 僕、身体の中にある、心と肉体と、もう一つ魂。この中で何が一番偉いかっていうことになるとね、心、今の言い方だったら脳ですよね?脳がそれら全てを司っていて、脳が一番よく知ってるって言われているけれども、僕は脳っていうのはそんなに偉いと思ってないんですよ。肉体よりバカですよ。

李 僕も全く同じです。

横尾 脳はむしろ、肉体よりも劣ってると思う。

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 身体っていうのは、肉体ですよね?肉体は嘘つけないじゃないですか?

 その代わり、脳はいくらでも嘘をつきますからね。すぐ大義名分によって言い訳を始める。つまり理屈の正当化を行いますからね。

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 身体の中の声ってあるじゃないですか。僕は、身体の中の声っていうのは、脳の声ではなくって、あくまでも身体、肉体の声。そちらに従わないと、頭の声に従うと、ろくなことないわけ。身体の声は頭ではなく魂の属性と言ってもいい。妙な社会的理由で脳みたいなものの言い方はしないですよね。痛きゃ痛い、寒きゃ寒いと正直です。本当に頭はろくなことない。

 

P341

横尾 「考えない」ということが、ほぼ全員の共通のキーポイントだと思いました。若い頃は自分の考えが確立しないと自信を持って仕事ができないということもあり、やはり常に考え続ける。ところが、ある年齢に達してしまったら、もう考えないことが即、仕事そのものの楽しさとか、仕事をする欲望につながっていく。

 ・・・そうなると、無理をしなくなる。無理をしないというのは、手を抜くとか、安直に仕上げるとかではなく、作品によって世の中に何かを伝えるとか、社会に対して発言するとか、そういう気持ちが薄れてくるということ。すると、妙な我欲のようなものが自分の中から少しずつ消えていって、僕の場合なら、ただ絵を描くことの興味に絞られていく。その純粋に絵を描くという行為が、今度は体に影響を及ぼしてきて、肉体を活性化してくるという感じがありますね。

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 絵を描くことと、生命というものが、どこかでひとつながりになっている感覚と言えばいいでしょうか。そこに余計な考えを持ち込むと、どこかで手が動かなくなる。体ではなく、脳の支配を受けてしまう。・・・

 老化というと、身体が動かなくなってくるというふうに一般的には捉えられがちですが、そうではなくて、老化とともに脳の支配から離れて、身体そのものが動き始める。僕は七十歳の頃にそのことに気づいて、あえて隠居宣言を自分自身にして、これからは好きなことだけをやっていこうと決めて、そこから十年やってきました。

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 子どもって、夢中になって遊びますよね。いちいち考えて砂遊びをしたり、水遊びをしたりしない。その行為自体が目的になっていて、そのこと自体を楽しむ。芸術行為というのも、本来、そういうもので大義名分のもとでやっているわけではないんです。こうしたら評価されるとか、評価されないとか、儲かるとか、儲からないとか、人に笑われるとか、笑われないとか、そんな取捨選択はしない。だからこそ、「自由」でいられる。自分の内なる声、肉体の声、それを身体性というのかもしれませんが、それに従って、やりたいことをやっていけばいいんです。