風と共に去りぬ

天才たちの日課 女性編 自由な彼女たちの必ずしも自由でない日常

  名作「風と共に去りぬ」の舞台裏がこんなだったとは、びっくりでした。

 

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 ミッチェルが初めての長編小説『風と共に去りぬ』を書き始めたのは一九二八年ごろで、それをようやく、たまたま家にやってきた編集者に渡せたのは一九三五年の秋のことだった。彼女はそれ以前にジャーナリストとして成功していたが、小説を書き始めると、それがとても難しいことに気づいた。「簡単に書けないし、書いたものがちっとも気に入らない」ある手紙のなかでそう書いているし、インタビューでこういったこともある。「書くことはほんとうに大変なの。毎晩、苦しんで書いても、二ページがやっと。翌朝、それを読み返してみると、ここもあそこも削除、削除となって、結局六行くらいしか残らない。それからまたやり直さなくちゃならない」。『風と共に去りぬ』の場合、いくつかの例外をのぞいて、各章とも「少なくとも二十回は」書き直したという。

 ・・・毎日書くわけではなかったし、きちんとしたスケジュールに従っているわけでもなかった。実際、何週間も何ヵ月も執筆から遠ざかることがしょっちゅうあり、その原因はさまざまなアクシデントや病気だった(病気といっても、体より精神面に問題があることも多かった―ミッチェルは自分の健康を気にしすぎるたちだったのだ)。いっぽうで、執筆中は異常なほど秘密を守ることにこだわった。「私は一度もアシスタントを雇わなかったし、たとえ親しい友人でも、原稿を一行でも読ませることはなかった」・・・

 ・・・

風と共に去りぬ』は大成功を収めた―何百万部も売れ、すばらしい映画も作られて、一九三七年にはピューリッツァー賞も受賞した―にもかかわらず、ミッチェルは二度と小説を書こうとしなかった。「どんな褒美をもらっても、あの苦しみをもう一度味わいたくないから」と彼女はいっていた。