「信頼する」ってこういう感覚だなと思いました。
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僕は自由業だから、平日も休日もあまり関係ありません。いつも週休5日という感じです。
自由業といえば聞こえはいいですが、違う言い方をしたら定職につかずに、気の向くまま、そのときやれることや、やりたいことをやってきているだけです。
そうやって20年近く家族を養ってきたわけですから、僕も捨てたものじゃありません(笑)。
とはいうものの、それをやってきたのは僕ではないと知っています。
神にお任せしてきた結果です。
こういう言い方をすると、狂信的な危ない人間のように見えるかもしれませんが、事実そういう感覚で生きてきました。
長い間、数カ月先の仕事が保証されたことは一度もなく、言ってみればいつも失業中みたいな状態でしたが、結果を振り返ってみれば人並み以上の生活をしてきたように思います。
僕は無学ですし、知能指数も高くありません。霊感もなければ、超能力もありません。犬小屋も作れませんし、料理もできません。お世辞も言えないし、世渡りも下手です。自慢じゃないですが、何ひとつ取り柄はありません。
そんな男がなぜこうして生きてこられたか、そして幸運な状態がいつも続いているか、それはズバリ神を信頼しているからだと思うのです。
人生を振り返ってみれば、誰でも転機となるような出来事や人との出会いがあったと思いますが、僕の場合、一番大きかったのは神との出会いです。それは瞬時にして、それまでの人生観が一変するような大きな出来事でした。
白ヒゲをたくわえて杖をついたおじいちゃんじゃありませんでしたが、それは、まぎれもなく神でした。形はないのですが、存在はものすごくリアルです。
とても言葉に表すことはできませんが、どうしようもないくらい圧倒的で、この世のものとは思えないくらいに美しく、完璧で、全知全能で、限りなく優しく、惑星の運行から我々の細胞ひとつひとつの働きにまでその力を浸透させ、ありとあらゆる現象の源にして、唯一無二の絶対的存在です。
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そんなとんでもない存在が、どこかにいるなんて思わないでください。それは、あなたのなかであなたを生かしている存在なのですから。
あなたはその存在をよく知っています。あまりにも身近すぎて、あまりにも自分すぎて、いつも見逃しているだけです。
それはちょうど、水のなかに生まれ、水のなかに育ち、水のなかで死んでいった魚が、その生涯にわたって水の存在に気がつかなかったのと同じことです。あまりにも身近で、至るところにあるので、見えないし、気づかないのです。
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信頼しただけ自分を開くことができます。信頼しただけリラックスすることができます。信頼すれば、執拗に自分を守ろうとしていた緊張から解放され、「任せる」という感覚を得ることができます。
それは圧倒的に楽な感覚で、しかもやることなすことが、スムーズにうまくいきだします。
恐れに満ちた自分の考えで物事にあたるよりは、神にお任せしたほうがずっとうまくやってくれるのです。
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「神への信頼」とは、その「流れ」を信頼することです。
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そのときどきの出来事に一喜一憂するのではなく、その流れに身を任せながら「いま」に最善を尽くすこと、それが「信頼」です。