自分と世界

さとりの授業 アセンション時代を生きるために知っておきたい大切なこと

 阿部敏郎さんの本、久しぶりに読みました。

 また印象に残ったところを書きとめておきます。

 

P32

 「有漏地」という言葉があります。

 これは普段の生活を指していて、エネルギーが外に漏れ続けて思考が空回りしている状態のことです。あっちを気にして、こっちを気にして、何かを考えていたと思ったら、また別のことを考えて、ひとつのことをやりながらも頭のなかは別の世界に住んでいるという、落ち着きのない日常です。

 しかも、これは無意識に連鎖反応のようにして展開しています。

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 そんな無意識が作り出す連鎖反応から抜け出るため、意識的に思考を中断してみましょう。

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 僕の場合は、意識を頭の10mくらい上に持っていって、そこから全体を眺めているような感覚を持ちます。耳を澄まして、あらゆる音を聞こうとするのもいいと思います。

 そして最も大切なポイントは、世の中のすべての出来事から手を引くことです。

 何ひとつかかわっていません。全部手放しにして、事が起きたいように起こしてあげるのです。いまや自分はこの世に存在しているのではなく、超然とすべてを眺めるただの物見です。・・・

 30秒たったらやめて、またいつもの生活に戻ります。その30秒間は、絶え間ない連続性に中断を与えた、かけがえのないギャップの境地になります。

 その境地が、エネルギーの漏れていない「無漏地」とよばれる状態です。

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 ・・・世界は自分がかかわっているから動いているのではなく、物事は「起きている」のです。何ひとつあなたのせいではないし、何ひとつあなたのおかげではありません。そもそも「あなた」なんて存在していないのですから。

「自我」と「世界」は本当はひとつのものです。世界とは、自我の思いが投影された映像です。それなのに、自我が「世界」にかかわっているつもりになっているから、「自分」と「世界」というふたつに分離された「分離感」が生まれるワケです。

 思考の連鎖に嵌っているとき、意識的に思考を中断し、エネルギーの漏れを防ぎましょう。

 するとあるとき、それまでの分離感が煙のように消えて、本来のリアリティーが顔を出すことでしょう。それは「自分」が消えた、ただあるがままの世界です。

 そのときに触れる、一切の「いい、悪い」を超えた、あるがままの世界―それが見性体験です。