論理?

養老孟司の大言論〈1〉希望とは自分が変わること (養老孟司の大言論 1)

養老孟司さんのエッセイ。タイトルがすてきです。

そういう風に考えたことなかったなーということが、書いてありました。

こちらも意外だった話です。

 

P166

 ・・・ある講演会で、東洋医学と西洋医学の違いを訊いた人があった。それに対する答えをここで記録しておきたい。

 幻肢痛という症状がある。手や足が無い人の、無い手足が痛むという症状である。これは治しようがなかった。というより、どうやって治せばいいか、論理がつかめない。無いものに生じる症状を、どう治せというのか。無い手を手術でとるわけにはいかない。

 ラマチャンドランというインド出身の神経内科医が、これを治療する方法を開発した。方法は簡単で、箱を覗き込むだけである。ただし箱の一方から、箱に手を入れるようになっている。仮に患者には右手がなかったとする。患者は箱の上につけた窓から、箱の内部を覗く。そうすると、箱に入れた自分の左手が見える。ただし箱に鏡が装置してあって、右手の位置にも、右手が映って見える。つまり左手を入れると、両手があるように見えるのである。そこで患者に両手を対称に動かすように指示する。そうすると、患者は同じように動く「両手」を見ることになる。これで幻肢痛が「治ってしまう」のである。

 なにが起こったのか。脳はおそらく両手があるものとして成立している。・・・ところが実際には動く右手が視野に入ってこない。「右手がない」んだから、それで当然である。ところが動かすほうの中枢からすれば、「右手はある」のだから、視覚との間にミスマッチが生じてしまう。・・・その「崩れ」がしばらく続くと、患者の脳はバランスがおかしくなる。それを主観的に「無い右手が痛む」と感じる。それなら、「無い右手」をつけてやればよろしい。少なくとも視覚上のミスマッチは解消される。そのていどでも、脳は「だまされる」のである。

 ・・・

 これほど単純な解決法を、これまでの医師が思いつかなかったのは、・・・その種の思考を「近代的ではない」、「正確ではない」とバカにしているのだと思う。・・・

 漢方は生体のバランスを基本としている。漢方がその種の論理で組み立てられていることは、多少でも学べばわかることである。ただしラマチャンドランのように、西洋医学のなかでその論理を使える人は、まだ少ない。・・・