なぜ悩むのか

養老孟司・太田光 人生の疑問に答えます (新潮文庫)

 人はなぜ悩むのか、この養老さんの話、興味深かったです。

 

P186

 人はなぜ悩むのか―これについてはいろいろな理由があります。いちばん乱暴な説明をすると、今の人たちの典型的な思い込みに「自分は一つ」ということがあります。実は、これが違うのです。

 人の脳は右脳と左脳の二つに分かれているのですが、右の脳と左の脳は、基本的に正反対のことをやっています。そのため「左右の分離」という右の脳と左の脳の連絡が切れてしまった患者さんは、とても興味深い行動をします。

 例えば、外出しようと思い、その支度で靴下をはこうとすると、その患者さんは靴下をなかなかはけない。そうした患者さんは自分では、脳に障害があるため手がうまく動かないんだと思っているんだけれども、それは違う。その患者さんの右手は靴下をはかせようとしているのだけれど、左手はその靴下を一生懸命に脱がそうとしているため靴下がはけないのです。

 男性の場合、通常、左脳は意識脳で言葉を使い、右脳は無意識脳で言葉にはなっていない。そして、左がやっていることに対して、右はちょうど正反対のことをするんです。

「中庸」という言葉がありますが、何かものごとをうまくやるためには、どちらか一方に偏るのではなく中庸でなくてはなりません。その中庸を理解するためには正反対のことを評価し、秤量しておかないと、中庸を導き出すことはできません。つまり、両極端がわからないければ中庸はわからない。

 だから、その両極端のことを左脳と右脳がそれぞれにやって、中庸を見極めているんです。大事なことほど迷う、悩むのは当たり前のことなのです。言い換えれば、迷わないでやった行動は覚えていない。つまり、記憶に残ってないわけで、記憶に残るのは悩んだことになるわけです。

 そこで重要なことは、正しい結論を出せるかということではなくて、そうした悩みを考え、それに耐え抜く脳の強さなんです。僕はそういう頭を「頭丈夫」というんだけれど、こうした悩みに負けない力が重要なのです。そして、悩むにも能力がいるんですね。

 ・・・

「努力している限り人は迷うものだ」と言ったのはゲーテですけれど、人は迷って当たり前ですね。前に言ったように、脳の構造はそもそも右脳と左脳は反対のことを考えていて、その考えが拮抗すれば当然のことながら迷いが生じます。だから、「迷う」ことをいけないことだと思っているのは、僕はおかしいと思うんですね。

「努力している限り人は迷うものだ」とゲーテが言ったとすれば、その理由ははっきりしていて、その迷っていることで、何か不具合がなければ、迷っていてよいということなのです。別な言い方をすると、何かを決定しなくてはならないときに、それを迷っているということは「迷っていられる」状況がまだある、つまり、余裕があるということですから。

 いずれ決断しなくてはならない時期がくれば、決断せざるを得ないわけです。そこでも決断できないでいるということは「決断しないでそのまま過ごす」という決断をしたことになる。それだけのことです。・・・