「いま存在している」感覚が生まれる部位が誤作動すると恍惚発作に?…とても興味深いです。
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ザックことザカリーに最初のてんかん発作が起きたのは一八歳。ウェスタンミシガン大学の二年生のときだった。・・・ただのパニック発作だし、もう二度とないだろう―ザックはそう思ったが、それから毎日のように発作が起きた。
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悲観的な情動が強烈すぎて最初は気づかなかったがのだが、ザックにはもうひとつ別の種類の発作があった。回数は少なく、いつやってくるかわからないが、舞いあがるほど楽しくなるのだ。子どものころから経験していたかもしれないが、記憶にあるのはやはり大学時代だ。この発作が起きると、世界がくっきりあざやかになる。まるでフラットスクリーンから、いきなり立体感あふれる現実が立ちあがってきたようだ。いつもなら見過ごすようなところまでよくわかる。「写真でしか木を見たことのなかった人が、ほんものの木を目にしたときのようです。木全体の細部から質感まで、何もかも飛びこんでくるんです。実に美しい光景でした」
時間の流れまで遅くなった。一ブロックを歩くほんの数分が、一時間にも感じる。「時間が引きのばされたみたいでした。同じ一秒でも、いつもより多くのことが経験できるんです」表現を変えれば、ザックは瞬間を生きていたことになる。「自分がいるべき場所はここしかない。この場所にだけ集中していました。一時間後、一年後に何が起きるかなんて心配はどこにもなかった」
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世界の見えかたや時間の流れもさることながら、いちばん強く印象に残っているのは確定感だ。
「配置や構図が完璧な写真や絵を見ているようでした。すべてのものがあるべきところに置かれて、美しさを感じさせる。カラマズーはうるわしい町ではありません。灰色の重苦しい雰囲気で、ふだんは美しいなんて思ったこともないのに」
さらに明快な確信感もあった。「周囲のことはすべて直接わかっていて、推測の入る余地がないと感じるんです。世界はこうだ、こうあるべき、こうなっていて当然という妙な確信がありました。ほんと、いったいどういうことだったのか。テーブル、椅子、木といったありきたりのものさえ、意図があって厳密に配置されている。背後で大きな力が働いているとしか思えませんでした」
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・・・ロシアを代表する作家ドフトエフスキーは、てんかんをわずらっていたことでも有名だ。発作が起きると、「世界でいちばん大切なものをなくしたような、誰かを埋葬したあとのような」底なしの不安を感じると妻のアンナに語っている。そのいっぽう、発作で意識を失う直前に、気分がどこまでも高揚することがあった。伝記を執筆したニコライ・ストラホフに本人はこう話した。「ふだんでは考えられず、未体験の者には想像もつかない幸福感がある……自分自身および宇宙全体と完璧に調和しているのだ。これほど幸福な時間をほんの数秒でも味わえるなら、人生の一〇年、いやすべてを差しだしてもいいと思えるほどだ」
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医師たちは、恍惚感がある発作の最中の脳波を測定してみた。その結果から、側頭葉の発作で恍惚感を感じることがあると判明した。
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てんかん発作には全般発作と部分発作がある。・・・恍惚発作は部分発作のひとつで、異常放電の場所が限定されており、患者はおおむね意識を保っている。
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コタール症候群、離人症性障害、ドッペルゲンガーに島皮質が関わっていることはすでに見てきた。・・・後部が表象するのが体温などの客観的性質であるのに対し、前部は良い悪いに関係なく、主体的な身体状態の感覚や情動を生みだしている。つまり「いま存在している」感覚は、前部島皮質で生まれている可能性があるのだ。
クレイグのこの仮説に、ピカールは大いに関心を持った。ピカールの患者が語る恍惚発作の描写は、島皮質、それも前部島皮質の機能不全に関係ありそうだと感じたのだ。・・・
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ピカールはその後、・・・やはり不思議な感覚は前部島皮質が発信源であることがわかった。