離人症状と脳のはたらき

私はすでに死んでいる――ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳

解離症状がある方は、感情や記憶だけでなく身体感覚も感じられなくなったりしますが、脳でそういうことが起きてるんだ…となるほどと思いました。

P181
 メドフォードを中心とする研究グループは、離人症性障害の患者に楽観的、悲観的、どちらでもないという三種類の写真を見せて情動反応を調べてみた。情動システムが正常に働いている人では、写真の種類ごとに異なる脳の領域が活発になる。情動をかきたてる写真を見たときに活発になる場所のひとつが、島皮質だ。・・・メドフォードらの実験では、嫌悪感をかきたてる写真を見たとき、離人症性障害の患者は左前島皮質の活動が明らかに落ちていた。「何らかの理由で情動回路、情動反応のスイッチが切られているようです」とメドフォードは私に話してくれた。
 このスイッチは脳のほかの場所にもある。離人症性障害との関わりがよく指摘される領域に、腹外側前頭前皮質(VLPFC)がある―情動をトップダウンで制御するところだ。メドフォードらの研究(離人症性障害の患者一四人を対象とした大規模なものだ)では、患者は健康な人とくらべてこのVLPFCが過活動になっていた。どうやらそれが情動反応を抑制しているらしい。
 ・・・
 離人症性障害では、VLPFCの過活動が左前島皮質を「スイッチオフ」していると考えてよさそうだが、それは意識的に行われているわけではない。メドフォードは「意志に関係なくスイッチが切れるんです」と話す。
 そうだとすれば、意識的に制御できない自律神経系の反応からスイッチオフが確認できるのでは?まさにそのとおりで、不快な刺激を受けたときの手の皮膚コンダクタンス反応を調べると、離人症性障害の患者は反応がきわめて小さかった。「思わず接続を確認するほどです。それだけ反応が薄いんです。健康な人ではそんなことはまずありません」
 離人症性障害になると、自分のことが知らない他人に思えてくるし、情動を感じる能力も低下する。このことは、「私は誰?」という謎にどんな手がかりを与えてくれるのか。それは、自己をつくりあげるうえで「いちばん重要なのは物理的な感覚と内部感覚」だということ。メドフォードはそう話す。「感情は体性感覚情報で構築されるという、ダマシオ的観念ですよ」
 ダマシオの理論は、元をたどれば一八八〇年代後半に活躍したアメリカの哲学者・心理学者であるウィリアム・ジェイムズまでさかのぼる。・・・
 ・・・一八八四年の論文「情動とは何か」で・・・順序が逆であるとして、ジェイムズは自説を展開する。「泣くから悲しくなり、殴りかかるから腹が立ち、身体が震えるから怖くなるのだ。泣いたり、殴りかかったり、震えたりするのは、悲しいから、腹が立ったから、怖いからではない」
 現代の神経科学では、情動と感情は次のように定義されている。まず情動とは、刺激に反応して起きる身体の生理学的状態だ。心拍数や血圧、身体の動き(脅威に反応して凍りつく、逃げ出す)、さらにはそのときの認知(思考が冴えているか、鈍っているか)まで含まれる。対して感情は、脳と身体をひっくるめて起きている情動の主観的知覚だ。