今度は小説

喜嶋先生の静かな世界 The Silent World of Dr.Kishima (講談社文庫)

小説も読んでみました。「喜嶋先生の静かな世界」面白かったです。
ここのところを読んで、池谷裕二さんの脳の本に、死ぬ直前は脳波がガンマ波になる(ネズミの実験ですが)と書いてあったのを思い出しました。

P162
 ・・・自分の頭の中で黙々と作業をするのだが、その深遠さが、本当にエキサイティングだ。ここぞという思考をするとき、もう少しで思いつけるというときには、息を止めてしまうほど集中する。そんな無呼吸の集中があり、息継ぎで溜息をついて、もう一度考え直し、という繰り返しで、あっという間に時間が過ぎてしまう。
 深い思考体験というのは、無重力のように自由で、どこまでも落ちていく、あるいはどこまでも登り詰めていく、それはまさにトリップといって良い。このままもう現実世界へは戻れない、つまり、自分という生き物はこのまま消滅してしまう、死んでしまうか廃人になってしまうのではないか、という一瞬の不安に何度も襲われる。だが、そんな雑念こそが、ここでは不純であり、重力になるから、たちまち落ちてしまう。集中して考えている間だけ、空間に浮かんでいられる。
 もしかして、一瞬死んでいるのかもしれない、と思う。
 死ぬ間際に一番頭が回転するのではないか、という体感がある。集中が途切れた途端に、あっという間に生き返ってしまう。
 呼吸を整えて、もう一度挑もうとするときには、あともう少しでわかりそうだった、もう少しで辿り着けそうだった、という感覚だけが痺れるように全身を駆け巡る。そして、納得のいくものを掴んだときには、体温がふっと上がったみたいな余韻が残るのだ。それもまた、次のトリップへの動機になるだろう。
 もっと深いところまで潜りたい。
 もっと遠いものを掴みたい。
 いつまでも、どこまでも、考え続けたい、とそのときは思う。でも数秒後には、こんな苦しいことはもう嫌だ、と感じる。そして、その苦しさも、すぐにまた忘れてしまう。
 ・・・
 ・・・
 こんな生きた心地のしない稀有な世界だったけれど、僕はもう決めていた。もうしばらくここにいようと。いられるだけ、ここにいよう。自分の限界が知りたい。人間の限界を垣間見たい。そのためなら、それ以外のものが犠牲になっても良い、極端な話、自分の寿命が短くなっても良い、それだけの価値はあるのではないか。