希林さんを褒めると・・・

【Amazon.co.jp 限定】希林さんといっしょに。(ポストカード付)

 きのうの記事のつづきです。

 

P92

是枝 うーん。なんだか褒めにきた感じになってしまうのですが(笑)。

 

樹木 それだけは言っておいてくれないと。

 

是枝 そうですか。希林さんのお芝居が好きなのはもちろんなんですが、ご一緒していると、「ちゃんとした監督になりたい」と思うんです。

 

樹木 またこんないい加減な人をつかまえて。

 

是枝 いやいや。言葉が難しいな。「この人はちゃんとした演出家だ」と本当に思ってもらえる存在でいたいと思える役者がいるということは、演出家にとって大事なことだと思っていて。役者のお芝居をちゃんと見て、役者に「ああ、そういうところを見るのね」と思われる、芝居を通したコミュニケーションが取れる演出家でありたいと思っているんです。僕の掌で役者を並べ替えて転がして、「私の世界の中の住人になっていただきます」ということではなく、もう少し、背筋を伸ばして対峙する相手として、希林さんを僕は選んでいるという感じです。

 

樹木 うーん、そうか。私の場合、それはまったく無意識なんでね。無意識だけど、是枝さんというひとりの人間の魅力、存在。生きてきた歴史にすごく豊かなものを見て、いいなあと感じているのがまずあるのね。私自身は撮影が終わると台本をパッと捨てちゃう失礼な役者で(笑)、他人と比べずに面白がって平気に生きられればいいやというところで今日まで生きてきた人間なわけよ。でも、そうやって是枝さんが、自分ですら嫌だなと思う私を嫌と思わずに「こういう角度から見てみようか」という感じで魅力的に引き出していってくれるわけで、そういう人がそのように言ってくださるのであれば……まだ命に余裕があるならもう少し生きられるなと。いま、そんなふうに思いました。これは宝ですね、私の(笑)。

 以前、東宝の撮影所で『歩いても 歩いても』を撮っているとき、私はいつも家でおにぎりをパパッと握って持ってくるから、食堂では味噌汁とあとひとつくらいしか取らないんだけど、それを下げにいったときに食堂のおばさんから「あんたさあ、日本の宝だよ!」と声をかけられたの。思わず周りを見回して、(え?ちょっといまなんて言った?間違いなく〝日本の宝〟と言ったよね)と思って(笑)。「ああ、そう?」と応えてそのまま戻ったけれど、そのときと同じぐらい嬉しいです。

 

SWITCH STORIES―彼らがいた場所 (新潮文庫)

 こちらの本でも、野田秀樹さんがこんな風に言っていました。

 

P244

「・・・本当に全体が見えるのは希林さん。それで彼女は実際に言っちゃうから。俺は仕事をする前に『希林さんは大変だよ』とか言われていて、やってみたらあんなに楽な人はいなかった」

「楽……、ですか」

「芝居というものを分かっている人。嘘のない芝居をつくっていける人」

「嘘のない芝居というのはどういうことですか」

「見て嘘に見えるものというのは、嘘なんですよ。それはどんな役者も気がついていることで、動きもそうだし、呼吸もそうだし、間もそうだし、足さばきもそう。『ああ、芝居だな、芝居っぽいな』と思った時は嘘なんですよ。本当の芝居をやっている時はそれと気がつかないで劇場にいることも忘れてしまう」