つづきです

「思考」を育てる100の講義 (だいわ文庫)

印象に残ったところ、つづきです。

こちらが努力してもなぜか理解してもらえないときは、こんな理由…明解ですね(^_^;)
P96
 ・・・僕はたまたま、研究職だったり、また学生に講義をして理屈を教える立場だったので、同じことを繰り返し説明したり、相手の理解度を確かめたりすることができた。それで、フィードバックも得られたわけだ。専門分野で議論をしていると、ああ、ここを誤解したのか、という部分が見つかって、その誤解の一端は自分の表現不足にもあることが理解できる。
 ・・・
 そういった研究や教育のフィールドではなかった「不理解」に、作家になって、文芸の世界でときどき出会う。どうしてこんな簡単なことがわからないのだろう、と思うことがあるのだが、その理由としては、二つあるようだ。
 一つは、わかりたくない、と相手が思っているためである。わかった、理解したと言うと、それに賛成したと思われると恐れているらしい。賛成したくないことを、「わからない」と言う習慣が、文系のフィールドでは一般的みたいだ。
 もう一つは、そもそも話を聞いていない、という場合である。こちらの顔色を窺ったり、機嫌を測ることに神経が集中しているため、言葉を聞いていない。
 この二つは、研究者をしているときにはなかったものだ。だが、普通の社会ではかなり一般的なようだ。たとえば、僕の奥様(あえて敬称)は、「それが普通、君がおかしいの」とおっしゃっている。奥様は前者で、うちの犬は後者だと観測される。