共感したところ

東京見おさめレクイエム (知恵の森文庫)

横尾忠則さんの「東京見おさめレクイエム」を読みました。
ここ、共感しました(^^)

P191
 晩年はあまり会う機会がないまま、澁澤さんは逝ってしまわれた。「都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト」は亡くなる前年(一九八六)に、入院先の慈恵医大病院で下咽頭腫瘍のための大手術を受けられた三日後、痛み止めによって生じた幻覚について書かれた文章である。
 澁澤さんは、どちらかというと体質的に幻覚を見ないタイプらしいが、その澁澤さんがとうとう幻覚を体験してしまったというわけだ。ぼくはどちらかというと霊媒体質の人間で、人が幻視だというようなヴィジョンを見たり、神秘体験をするタイプだから、そんなものを見たり信じたりするお前は間違ってるとか頭がおかしいと、科学漬けの人たちによく言われることがある。しかし、事実、ぼくの眼の前や身のまわりで実際に起こっていることを自ら否定することのほうが自分を裏切るようで、かえって不自然である。
 澁澤さんのように、薬によって起きた幻覚は文字どおり、確かに幻覚で、三次元的現象ではない。だから、本人にしか体験できないのである。肉体感覚が知覚したヴィジョンではなく、意識によって投影されたヴィジョンもあり得るからだ。
 そんな客観性のない、いい加減なヴィジョンはリアリティでもなんでもない、という人がいたら、これは大間違いだと思う。この物質的現実と分離されて存在するもう一つのリアリティこそ、本性とつながる宇宙的な領域ではないだろうか。
 どうも最近は、人間の肉体的な領域からどんどん離れた領域で、いろいろなことを体験する人が増えているように思う。脳は肉体の一部だが、脳が知覚する感覚や記憶は、もしかしたら脳から離れて独り歩きしたりはしないのだろうか。
 というのも、死んだら脳はないけど、脳が記憶していたすべての情報や体験は、どうも死んだ人間と一緒にいるように思えてならないからだ。なぜかというと、ごく普通の日常の中で、ぼくは死者からのメッセージを感じることがしばしばあるからだ。