なるほど、おやじギャグってこんな風に役立つことが…
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月曜から金曜の間、ぼくはずっと授業で苦しみ、週末を心待ちにしていた。
ぼくのいた「まどか寮」は毎週末閉鎖され、寮生は実家に帰らざるを得なかった。帰るところのないぼくは、盲学校職員の荒川さん宅にホームステイすることになった。・・・
厳しい平日が終わると、ぼくは第二の家族である荒川家へ行って、休日を過ごした。・・・
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荒川家の家族構成は、高校教師の父・義弘さん、盲学校職員の清美さん、高校二年の能守くん、そして中学二年の無口な真臣くんだ。後でわかったが、真臣くんは特に無口なほうではなくて、この年ごろになると、日本の大半の中学生が家の人間とあまり口をきかなくなるという。なるほど、おもしろいなと思った。これって、スーダンとはまったく逆の現象である。
スーダンのティーンエイジャーたちは、むしろ家族のなかで存在感を見せつけようと、にわかにおしゃべりになったり、でしゃばりになったり、親と対等な関係になろうとしてかなり自己PRをしはじめる。・・・
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荒川家で一番困ったのが、なんといっても、義弘さんに毎晩おやじギャグ講座を強制されたことである。・・・
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義弘さんが教えてくれたおやじギャグと福井弁を使えば使うほど、ぼくは不思議と周囲の人々と打ちとけていくことができた。そして、とうとうおやじギャグ病に感染し、休日の晩ごはんの後には自分からおやじギャグを仕掛けるようになってしまった。すると、義弘さんも負けじと、日本のおやじたちを代表して、とっておきのネタを放出してくるようになった。おかげで、ぼくの日本語の語彙は格段に増えていった。
以来、ぼくはおやじギャグばかりを考えて過ごすようになった。タイミングよくギャグに気づいて、それを口にすると、なんだか威勢よくクシャミが出たときのような快感を覚えた。義弘さんにマッサージをしているとき、「内臓が悪いですか」と聞かれて、ぼくはとっさに「そんなことはないぞう」と切り返せるようになった。
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ぼくはおやじギャグを通じて、漢字も勉強することができた。目が見えなくて、かつ、出身地が非漢字圏になると、漢字の意味や違いを想像することは容易ではない。
日本語は子音が少ないだけに、作れる音のパターンが少ない。すると、違う言葉を同じように発音することが多くなる。いわゆる「同音異義語」というやつだ。たとえば、「学生が講義の内容に不満をもって抗議した」というときの「こうぎ」という言葉は、「抗議」「講義」「広義」「厚誼」など、他にも同じ音の言葉がたくさんあるので、これは漢字を見て判別するしかなくなる。しかし、漢字を見ることのできないぼくは、おやじギャグを使って同音異義語を覚えていった。・・・
たとえば、ぼくは初対面の人に「スーダンはどんなところですか」と飽きるほど繰り返し聞かれて、その都度、返事に困っていたのだが、あるとき、「数段」という言葉を見つけて、以来、この質問に「スーダンは日本より数段広くて、数段暑い国だ」と返事をするという、初対面の人と打ちとけるのにもってこいのネタを作った。