ずる

ずる――?とごまかしの行動経済学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

岡野先生の本に出てきた「ずる 嘘とごまかしの行動経済学」を読みました。
おもしろかったです(笑)
へぇ〜もいっぱいありました。
ちなみにSMORC↓とは「シンプルな合理的犯罪モデル」の略で、たとえば人がお金に困っている時にコンビニの前を通りかかったら、レジにいくら入っているかあたりをつけ、つかまる確率をはじき出し、つかまった場合にどんな罰が待ち受けているかを想像し、その費用便益計算をもとに、強盗に入るか入らないかを決める、という仮説です。

P38
 ・・・ベッカーやふつうの経済学がわたしたちに信じこませようとしていることより、ずっと奥の深いことが起きている。まず何よりも不正の水準が、不正によって得られる金額にそれほど左右されない(わたしたちの実験ではまったく影響を受けなかった)という実験結果は、不正が単に費用と便益を分析した結果行われるわけではないことを示している。そのうえ、見つかる確率を考えても不正の水準が変化しなかったことを考え合わせると、不正が費用便益分析をもとに行われる可能性はさらに低くなる。最後に、チャンスを与えられると、大勢の人がほんのちょっとだけごまかしをするという事実から、不正を実際に支配する力が、SMORCの予想する力よりずっと複雑である(うえ、興味深い)ことがわかる。
 いったい何が起きているのだろう?そこでわたしはある仮説を唱え、この本の大部分を費やしてそれを検証するつもりだ。この仮説を簡単に説明すると、わたしたちの行動は、二つの相反する動機づけによって駆り立てられている。わたしたちは一方では、自分を正直で立派な人物だと思いたい。鏡に映った自分の姿を見て、自分に満足したい(心理学者はこれを自我動機と呼ぶ)。だがその一方では、ごまかしから利益を得て、できるだけ得をしたい(これが標準的な金銭的動機だ)。二つの動機が相容れないのは明らかだ。では、ごまかしから利益を確実に得ながら、自分を正直ですばらしい人物だと思い続けるには、いったいどうすればいいのだろう?
 ここで、わたしたちの驚くべき「認知的柔軟性」の出番となる。この人間的能力のおかげで、わたしたちはほんのちょっとだけごまかしをする分には、ごまかしから利益を得ながら、自分をすばらしい人物だと思い続けることができるのだ。この両者のバランスをとろうとする行為こそが、自分を正当化するプロセスであり、わたしたちが「つじつま合わせ仮説」と名づけたものの根幹なのだ。
 ・・・
 ・・・ひと言で言うと、自己イメージを損なわずに不正から利益が得られるような境界線を、だれもがいつも探そうとしているのだろう。オスカー・ワイルドはこう言っている。「道徳性とは、芸術のようにどこかに線を引くことである」。問題は、その線がどこにあるのかだ。