悟りについて

ある瞑想家の冒険―悟りに至るまでの半生、そしてその後

P174
・・・感情は、人生を存分に生きるために便利な、強力な道具だということもだ。わたしは最も醜い感情でさえも、便利な道具なのだと学ばなくてはならなかった。人間としてする経験はすべて、自分の限界に打ち勝ち、より意識の高みに昇るためにやってくる。わたしは、自分の最も暗い怖れや感情に向き合うことも、悟りへの道の一部なのだと気づかざるを得なかった。真のマスターは、すべての試練に向き合う。それが霊的でないからといって立ち去ることはない。真のマスターであるということは、本物の人間になるということだったのだ!

P285
 悟りというのは、超然とふるまったり、悟って見える行動をしたりすることではない。人間なら誰もが抱くさまざまな感情や疑いの気持ちを備えた、真の人間でいることだ!悟っても、わたしたちが人間であることには変わりはない!悟りとは、超然とした態度を表面的に示すことではない。「私は悟っています」というふりをして、仮面をかぶることではない!真の悟りとは、ただひとつの違いをのぞけば、みんなと同じように普通の人間の生活をすることだ。違いは、つねに自らの仏性に軸があるかどうかだ。わたしの内なる存在は、頭の思考やハートの感覚すべてを、つねにだまって見つめている。悟りはハートの流れに従って自然に起こり、みんなの期待に応えんがために頭が指示してくるすべてを脇に置く。自分の気持ちに素直になって、大好きなことをしなさい。正しく見えるとか理にかなって聞こえるからというだけで、絶対に行動してはいけない。ハートに理屈は通じないのだ!悟りとは、教養あるふるまいのことではない。ハートに脈打つダルマの、普遍的流れの在りかたなのだ。

なんだか、!マークが多かったりして強く聞こえますが、本全体は落ち着いた流れで、頭ではなくお腹に響く感じで読めます。
悟りという言葉は、どうも高尚なイメージがありますが、清濁合わせのむというか、そうしてバランスをとれる状態なのかな、と改めて思いました。