あなたが自由でいられる場所

空海さんに聞いてみよう。―心がうれしくなる88のことばとアイデア (徳間文庫カレッジ)

その通りだな〜と思いました。

P140
日に千里を走るという麒麟
せまい竈のような場所につないでおき、
一度に九万里を飛ぶという大鵬の翼を
せまい囲いの中に押し込めておいたとしても、
神速で走ることを求め、
大空いっぱいに翼をひろげて飛び上がることを求めても、
難しいことでないことがあろうか。

  若使麒足を釜竈に繋ぎ、鵬翼を樊籬に籠めて、
  其の滅没を責め、之を垂天に課せんこと、
  豈難からざらん哉。
  弘法大師空海『遍照発揮性霊集』巻第四

 先日、新聞の子供欄の担当の方にインタビューを受けました。そのとき、最後に「今、苦しんでいる人も、あなたがこれから出会う人によって、相性や評価はがらっと変わることがある。親や先生、同級生、そしてメディアの言葉だけを鵜呑みにしないで、広い世界が、まだあることを知ってほしい」というようなお話をさせていただきました。
 私たちの普段の生活や仕事においても、この空海の言葉は、ある「気づき」を喚起させるものではないでしょうか。もちろん、自分の実力や特技を磨くことも大事ですが、それを「どのような場所」で発揮しようとするか、その両面がすこぶる大事なことのように思います。
 たとえば私は今、僧侶の仕事をしながら本を書いたり、文章を書く仕事がとても好きですが、学生の頃、文章を褒めてくださる先生がおられる一方で「おまえの文章は、小学生以下だ。しっかりと書きなさい」と指導を受けたことが何度かありました。受け取り方は人それぞれですので、それはそれでまったく構いませんし、正直な意見だと思います(第一、その場所では本当に生意気で不真面目でした)。しかし、発信する「場所」「相手」を模索し、むしろ対象を大きく広げることで、多くの方と文章を通じて出会うことができました。
 弘法大師は、その"時"に応じて、あらゆる「場所」を設定しました。法を求めて日本を離れ、教えを広めるために京都で活動し、静かな修行の地を求めて、深い森の中の高野山に身を置きました。私たちも「場所」とその「サイズ」について、もう一度考えてみてもいいのかもしれません。