空海さん

ど・スピリチュアル日本旅

高野山の宿坊に泊まる旅で、こんなやりとりがありました。
空海さん、いいですね♪

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 風呂でサッパリした後、みなで記念写真を撮ろうと盛り上がる。廊下を通りかかった若いお坊さんに撮影してもらっているうちに、お坊さんを含めた撮影大会が始まり、果ては乾杯しようという流れになり、美坊主たちとソーヤを交え、和室のこたつで酒宴が始まった。
「んでは、お大師さまにカンパーイ!」
 って、あたし、ナニ音頭とってんだ?つーか、今日は禁酒!と誓った、さっきの一大決心はなんだったんだよ!?あぁ、こんな聖地ですら酒が断てぬ、我が煩悩よ!!
高野山って、禁酒やないんですね。めっちゃストイックなイメージやったから、てっきり宿泊客もお坊さんも禁酒やとばかり思ってましたわ〜」
 昼間、荷物を預かってくれたイケメンのお坊さん、田村暢啓さんに言うと、明快な答えが返ってくる。
「お大師さまは、欲望は生きることの証やと考えておられたんで、お酒もOKなんですよ」
「お大師さんは太っ腹ですね!確かに『何々したい』っていう気持ちは全部、欲やけど、言い換えれば、全ての欲は夢であって、希望ですもんね」
 空海の凄いところは、教えの全てが「否定」ではなく、「肯定」であることなのだ。それまでの仏教では「人間はみな、業を背負っている」という考え方で、欲の全否定による悟りを目指してきた。一方、仏教の進化形である密教では「欲を含めた、人間の全存在を肯定」している。つまり、欲望を「生きる原動力」、「宇宙の活力の源」とみなすのだ。・・・この地にいると、自分の今までを、スケールの大きな空海の包容力で受け入れてもらえたような気がして、心がとても落ち着くのだ。