まったく関係のないことを動かす

坊さん、父になる。

これは、とってもいい解決法だなと思いました。

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 仏の教えにおいて、華厳哲学の「存在論的関係性」(なんというややこしい呼び名!)と呼ばれる考え方がある。たとえば1,2,3,4の各要素は、物それ自体の本性(自性)というのはなくても、それぞれ同士の「関係性」がある。つまり1という存在は2,3,4との関係性で成り立っており、その「すべてが関係しあっている」こと自体が、1を1たらしめ、2を2にしているので、「関係性」を抜いてしまうと、なんにも存在できなくなる、と僕は理解している。そしてこれは、普段の生活でも活かせることだと思う。
 弘法大師空海にもこのような言葉がある。
「あらゆるものの[原因]がとらえられないことを表しているためである。なぜならば、すべてのものは、常に変化しており、必ず何らかの[原因]があって初めて成立しているからである。当然、(原因の原因をつぎつぎに尋ねていくと)最終的によりどころとなるような固定的実体のある原因など存在しないことが知られるはずである。したがって、[無住(とどまることのないこと)]をあらゆるものの根本であると説くのである。・・・弘法大師 空海『吽字義』現代語訳
 一見、とても難解にも見えるが(そして実際、難解だと思う)、あえてシンプルに捉えてみると、すべてのものの原因をさかのぼっても、いくらでも無限にさかのぼれてしまう。根本的な原因などなかった。あらゆるものがあらゆるものと関係し合いながら、変化し続けていただけだった。という感触が心の中に広がってくる言葉だ。大乗仏教の神髄をあらわした言葉と言えるだろう。
 そしてこれらの言葉を、身近な生活にぐぐぐっと引きつけて、あらゆるものが関連し合って動き続けているという認識から、僕は人間関係やコミュニケーションに行きづまった時、「まったく関係のないこと」を"動かす"ようにした。
 たとえて言うと、ある人間関係がストレスになっている時に毎日ランニングをはじめたり、仕事の話がどうもうまくいかない時に、知らない作家の本を立て続けに読んでみたりする。そんなことが、意外と有効だったと思うのだ。