経験を過信しない

坊さん、父になる。

大事なことだな〜と思いました。

P163
 しかし自分自身の手痛い失敗を省みても、強く思うのは「経験則のみで語ってはならない」という実感だ。「経験」というのは、とても強い。とくに自分が、他の人があまり経験できないことを経験していると、まるで自分こそが、それについてすべて知っているかのように語ってしまい、また、経験をしていない他の人も反論しにくい場面がある。・・・
「ひとが何か或るものに依拠して"その他のものはつまらぬものである"と見なすならば、それは実にこだわりである、と<真理に達した人々>は語る。それ故に修行者は、見たこと・学んだこと・思索したこと、または戒律や道徳にこだわってはならない」『スッタニパータ』七九八
 やはり含蓄のある言葉ではないだろうか。「修行者は、見たこと・学んだこと・思索したことにこだわってはならない」。経験はときに、何事にも代えがたい、大切な要素になりえるけれど、同時に、その「ごく一部」しか、経験していないことも事実のはず。なので、ときには「自分が経験者である」という過信が足かせとなる場合もある。それは自分にも突きつけておきたいことだ。今、僕たちが経験していることは、「いつか見たものと似たもの」でありながらも、場所も細かい設定も時間も違う、「違うもの」「まったく新しいもの」であり続けるはずなのだ。