自分が変わる、ということについて、こんなお話もありました。
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僕の父親はとにかく人に何かあげるのが好きな人である。
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僕もだいぶ大人になったいまだからこそ、「人に少しでも何か与える」という部分を実践していこうと思い、友だちと飲むときは少しでも多く出すように心がけ、お店の店員さんにも「よかったら一杯飲んでください」と言うようにしている。
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少しずつ、与える側になれてきたように思うのだが、不思議なもので、自分自身が変わったなと思ったとき、それを試すような試練、最終試験というものが訪れる。
自分の内面を変えることができた――。自分が変わったのだから、周りも変わるはずだと思っていたのに、周りの現実はまるで何も変化していない。あれ?おかしいな。自分は正しいことをして変わったはずなのに、まるで何も変わっていないじゃないかと。
モノに執着することを止め、どんどんモノを手放して人にあげたりして、「ようやくモノに執着しない人間になれたぞ」と思っているときに、財布を落として落胆したりする……。
これはまさに、魂レベルで試されているのだと思う。
そこで「僕は執着しない人間になったつもりなのに、なんでこんな悪い事が起きるわけ?」と考えるのか、「何かの身代わりになってくれたんだ」と考えるのかを選択することになる。もちろん僕は後者を選ぶようにしている。
自分が理想とするチャンネルに合わせるには、いろんな最終試験が日常の至るところで待ち受けている。
その最終試験も超えていけたとき、はじめて自分が魂レベルで足取り軽く変わっていけるのである。
たしかに、変わったつもりでも、まだまだだったのね〜。。。と気づくような出来事に遭遇することってあります(^_^;)そうか、最終試験でしたか、とこれを読んで思いました。