ゲーテとカフカ

希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話

希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話、という本がありました。
本屋さんで見かけて、しばし立ち読み・・・
右ページにゲーテ、左ページにカフカの言葉が載っていて、
また次のページに解説が載っています。

ゲーテ

希望は誰にでもある。
何事においても、
絶望するよりは、
希望を持つほうがいい。
先のことなど誰にもわからないのだから。

と言うと、カフカが、

ああ、希望はたっぷりあります。
無限に多くの希望があります。
―ただ、ぼくらのためには、ないんです。

と言う(苦笑)という構成です。

希望名人、絶望名人、とは言い得て妙なタイトルでした。
買おうかな、うーん、どうしようかな?と迷って、いったん棚に戻してしまいましたが(^_^;)
やっぱり気になって買いました。
解説を読むと、二人には非常にたくさんの共通点があって、同時にまるで正反対と思える特徴もたくさんあって、
おまけにカフカゲーテを愛読していたと?!

さらに興味深いことが解説に書いてありました。

P26
・・・「なぜ、ゲーテの人生は今まで映画化されなかったのか?・・・ゲーテは裕福な家の出身で顔立ちが美しく、社会的にも成功を収め、言わば万能の天才だったので、映画にするには面白みがないと思われたのだろう」
・・・
 でも、ゲーテの人生が幸運の連続だったかというと、決してそんなことはありません。
 むしろ、さまざまな困難や、不幸な出来事がありました。大震災や戦争も経験しています。
 それでもゲーテはつねに希望に満ちて、前向きでした。
P27
 カフカもまた、伝記映画がありません。その理由はゲーテとはちがって、カフカの人生はあまりにも普通だからです。ドラマチックなことは何も起きない、ごく平穏なサラリーマンの一生です。・・・
 では、なぜカフカはこんなにも絶望しているのか?
『エンドウ豆の上に寝たお姫さま』というアンデルセンの童話があります。二〇枚の敷布団を敷き、その上にさらにやわらかい羽根布団を二〇枚も重ねて寝たお姫さまが、布団の下にあった一粒のエンドウ豆が痛くてよく眠れなかったと言います。
 カフカも同じです。あまりにも敏感なのです。他の人が感じない日常生活の苦しみを、彼は絶望するほどに感じます。・・・
 普通の日常を生きたカフカだからこそ、カフカの見つけた絶望は誰の人生にもあるものです。

そしてまたこんなやりとり(の形式にしてあるのが実に面白いです)が続きます。

ゲーテ
なんでそう深刻に
世間のことで思い悩みたがるのだ。
陽気さと真っ直ぐな心があれば、
最終的にはうまくいく。

カフカ
すべてが素晴らしい。
ただ、ぼくにとってだけはそうではない。
それは正当なことだ。

ゲーテの言葉と、カフカの言葉、それがどんな状況の時に言われたことか、背景も書かれているのがとても興味深いです。
はじめは、カフカって意地になってるんじゃないかっていう位絶望してるなぁ(^_^;)と思いつつ読んでましたが、途中からそれがカフカという人であって、カフカが前向きになったらそれはカフカらしくないんだ、と気づきました。
解説には、カフカの小説には未完成のものが多いが、未完成ならではの魅力がある、と書かれています。
ゲーテについては、「ファウスト」は構想から完成まで61年かかった、と書いてあったりして、名言の後ろにそういうエピソードが・・・と面白いです。