帯に「読んだ人は、笑いすぎて、お腹がすき、食べすぎて、幸せになる」と寂聴さんの言葉がありました。
たしかに、人生いろいろあるけど、笑ってればいいのかなー・・・っていう心境になる本でした。
P59
「先生って本当にあかるいよね。わたしはネガティブだから先生が羨ましい」
と言うと、
「確かにそうかもね。どんな状態であろうが、絶望って感じたことないのよね。基本楽観的なの。死ぬわけじゃないしって思うのよね」
と先生は言う。確かに先生はいつも希望を忘れてはいなかった。着の身着のまま家を出たときであっても、十分食べられず、栄養失調になり、暖房がなく、食料が乏しくても、
「こんな生活は一時的なもので、私の本来の生活ではない。いつか必ず、私は私の本道へ出て、明るく日の照り輝く白い道を歩いていくだろう」
と信じていた。
先生は自分のことを何よりも信じているのだと思う。「自信」があるということだ。
きっと悔しかったことも、悲しかったこともたくさんあったに違いない。でもいつのときでも絶望せず、自分を信じてきたのだと思う。
ただ、先生の人生を調べてみると何度も「自殺」しようとしていたことがわかった。子供を置いて家を飛び出した頃の日記にはまるで「自殺願望日記」と言ってもいいほど、どのページにも自殺の方法や、場所や、時や、あらゆる詳しい計画などが書いてあった。自分自身の死を何度も願ってきた。
そのときに限らず、先生の本には私小説ではないかと思うような自分の心情を書きだした小説がみられる。先生は書くことで命を繋いできたのではないか。書くことで自分の中の理由のわからないことを整理し、客観的になれるそうだ。
「書けばわかってくるのよね。わからなかったらわからないって書くし」
そうやって、現在、過去を書くことで生き延びてきたんだ。先生は自分のために書いているんだ。書かなきゃ死んでいたんだ。
・・・
先生のこの人生はおいしいものを食べたいということでもなく、富を得たいということでもなく、いい家に住んだり、高級品を持ったりすることよりも、何よりもいい小説を書きたい、ただそれだけだった。
いつもいつもいい小説を書きたいという気持ちだけで今も生きている。
・・・
95歳になった今でも先生は成長できると信じている。小説を書けなくなったら死んだ方がましだとも。自分の小説に未だ満足しきっておらず、もっといいものが書けると思っている先生。・・・