運命の法則

運命の法則 文庫版

 久しぶりに天外伺朗さんの本を読みました。

 とてもわかりやすい説明でした。

 

P129

 俗に、「運命に逆らうと、運命に見離される」ということがある。与えられた運命を従容として受け入れると、やがてつきが回ってくるが、それに逆らってジタバタあばれると泥沼にはまっていくことを指す。

 本当は、運命があなたを見離す、などということは絶対に起きない、と私は考えている。運命は常に味方なのだ。

 だから、流れからはずれると、それを親切にも教えてくれる。「運命の流れと違う方向に泳いでいるぞ」と、わざわざシグナルを発してくれるのだ。そのシグナルは、何とはなしの居心地の悪さや、不快感、さらには人生が何となくギクシャクしてくることで表現される。一般的にいえば、「不運」な状態だ。

 しかし、一見「不運」に見えることが、すべて流れからはずれているシグナルとは限らない。ときには、信じられないような「好運」が、とんでもない「不運」の衣をまとってやってくることがある。・・・

 私の知る限り、不運はこの二種類しかない。つまり、流れからはずれたことを知らせてくれる親切なシグナルとしての不運か、とてつもない好運なのだが、一見すると不運という衣をまとっているかだ。

 ・・・不運に見舞われていて、自暴自棄になったり、ジタバタあがくことにより、泥沼にはまるケースはけっこう多いので、要注意だ。不運と上手に付き合うことは、ちょっとしたコツをつかめば誰にでもできる。本質的には、不運など存在しないと肝に銘じてしまえば、付き合い方が上手になってくるだろう。

 

P141

 一見すると、自己否定とうぬぼれは、正反対の精神状態に思える。かたや自らの存在を矮小化しており、もう一方は肥大化して認識している。

 しかしながら、より詳細に検討すると、自己否定の代償作用として、うぬぼれや思い上がりが生じていることがわかる。つまり、心の中での自己否定に耐えきれず、それを何とか補おうとしてうぬぼれが生じるのだ。

 それは、優越感というのが、劣等感の代償として出てくるのとまったく同じだ。英語では両方ひっくるめてコンプレックスという。コンプレックスに相当する適切な日本語はないが、心理学では「抑圧されたこだわり」のことをいう。その意味では、自己否定もうぬぼれも、「抑圧されたこだわり」から出てくる、と考えて間違いない。

 もう少しわかりやすい、一般的な表現を用いると、自分としての「軸」がぶれていなければ、自己否定も起こさず、うぬぼれることもない。そして、運命はその「軸」がぶれていることを、必ず教えてくれるのだ。