市原悦子さん

ひとりごと〈新装版〉

 20年前に初版された本の新装版が目にとまって、読みました。

 印象に残ったところです。

 

P163

 私の稽古好きは、自他ともにあきれるほどです。

 ある稽古の最中に「私、この芝居、ずっと稽古だけして本番がないといいわ」と言ったの。その時、共演者は「ええっ、かんべんしてくださいよ。稽古は適当で本番をやりたいですよ」って、あきれてました。

 どうしてそんなに稽古が好きなのか、ちょっと考えなければいけませんね。まあ、稽古は冒険ができて、新しい表現に挑戦できるから。お金をもらっている責任がないから。約束ごとを守らないで自由に動けるから。その魅力はいろいろあります。

 でも、もう一歩ふみ込んで稽古好きを考えてみると、その正体は「遊びをせんとや生れけん、戯れせんとや生れけん……」(梁塵秘抄)、この歌のもうし子であったのです、私は。生涯遊んでいたいんです。

 そこには初日もなければ新聞記事もない。お金も名誉も計画も努力もない。すてきな仲間と歌って踊って、いつまでも遊んでいたいんです。私にとってお芝居は遊びでありました(笑)。

 

P202

 食べることができて、眠ることができて、そして排泄ができれば、もう、いうことはない。そして、朝、決められた時間に遅れないで仕事場に行ければ、最高だと思います。

 

P211

 日系移民一世の森さんを、ジャングルの奥地に訪ねました。森さんはアマゾンの無人島に上がって、居を構え、森を切り開いて、ガラナ畑をつくりました。畑は数年で、大地の栄養を吸いつくしてしまって、作物ができなくなるそうです。そこでまた、その奥を切り開いていく。家から歩いて延々と二十五分の道のりを、森さんは開拓しました。ものすごい仕事量。すごい歴史ですね。

 森さんいわく、「これはバカでなくちゃできません」、「六十三年かかってやったんだから、できますよ」、「ここしか私の生きる道はなかったから」と、こんなことをサラリとおっしゃるの。

 森さんにそう言われて考えると、何か共通するものが見つかった気がしました。私もお芝居をするのに、稽古、稽古と続けて、やっと人の心に、ちょっぴり残るものができるわけです。それを一生かけてやっている。みんなコツコツ、コツコツやっているんだなあと思って。森さんの言葉がそんなふうに響いてきました。

 巨大な自然とちっぽけな人間の営みがいっしょになって、すごく気持ちが落ちつきました。

 

P215

 おかげさまで、長く続いている舞台も、番組もありますけど、いつの間にか続いているんです。もちろん、多くの人に見てもらいたいとは思うけれど、あまりに頑張ろうとか、目標達成のためにというのはないですね。

 ただ、マンネリズムというのがいちばん嫌いです。お仕事も、生活も。「いまを生きる」ということを大切にしたい。自分の引き出しだけで勝負を繰り返すというのが、いちばん嫌いです。

 もちろん、引き出しは、いつもたくさん持っているほうがいいけれど。それをそのまま持ち出して使うのではなくて、さらに新しくするとか、掛け算をして示すとかしないと。やはり安定したものは、壊したくなります。

 こうして、思いつくままにおしゃべりをしてきましたが、気がつけば私は、何よりも〝自由に遊ぶ〟ことに夢中になっています。戦後の食糧難時代に、木のぼりをして股旅ものをうたっていたのも、中学時代、演劇クラブで明け暮れたのも、養成所の三年間も、劇団俳優座で、お芝居におぼれて、まみれて、ひたっていたのも、そして現在の稽古好きも、みんな同じように遊んでいた私がありました。

 多分これからも、夢中になれる戯れをさがして、いつでも遊んでいたい、自由がほしいと、鼻をきかせて生きていくでしょう(笑)。