大原扁理さんの台湾隠居生活報告。人のあたたかさが伝わってきました。
P169
台湾にも路上生活者はいます。
台北だと、台北駅の駅舎をぐるりと囲むように、いつもたくさんの人が段ボールなどを敷いて、寝泊まりしています。女性の姿もちらほら。なかには、夫婦かな?と見える男女二人組も。考えてみたら、マイホームが台北駅から徒歩0秒ってすごいな。
街中で、路上生活者にお金や食べ物を渡す人も、日本より頻繁に見かけますね。
そうするとどうなるかというと、自分も路上生活者に何かをあげる心理的ハードルがぐーんと下がるんですよね。みんなやってるし~、みたいな。
というか、私は日本でもたまに食べ物をあげたりしていたんですが、なんかどうも日本では、こういまひとつサッパリといかない感じがしていました。
ひとつには、世間の無関心と、自己責任的な風潮が混ざってできた深い溝のようなもの。あれを越えていくのにまず若干の心労が発生。
そしてもうひとつには、路上生活者のみなさん自体が、食べ物を渡しても、もう感情が起動しなくなっちゃってる、というのかな。人間が本当につらいときって、感情をOFFにしないと、いちいち泣いたり、反応してたら心がもたない。でも、「無感情・無表情」がデフォルト、という状態に一人の人間が行きつくまでに、どんなことがあったのかと想像すると、なんとも悲しくなってしまうんですよね。
なかには、「こりゃどうしようもねーな」っていう人もいると思うけど、私が目撃した台湾の路上生活者に限っていえば、感情を捨てていないというか、むしろそこらへんの無表情な日本のサラリーマンより感情が豊かかもしれません。
私は日本に一時帰国する際、彼らに食べ切れなかったフルーツなんかをあげてから空港行きのバスに乗ることにしています。
余ったバナナ片手に、台北駅からバス乗り場へつづく東出口を出ると、すぐそばに、地面に段ボールを敷いた、黒いニット帽のおばちゃんを発見。
サポートしてくれる人がいるのか、髪もばさばさというわけでもなく、頬の肉付きもよく、栄養が足りてる感じ。靴もちゃんと履いていた。外見は意外とふつう。
で、バナナの房を差し出して、「みんなで分けて食べてね」って周りの路上生活者たちを指さしながら渡すと、花が咲いたみたいなはじける笑顔で「謝謝~!」って爆裂感謝が飛んできました。
私がちょっと離れて振り返ったら、手なんか振っちゃって。ほんとにかわいくて、笑顔がこっちまでうつっちゃう、みたいな。
・・・
また別の日。
取材の仕事があり、たくさんいただいて食べ切れなかったお弁当を抱えていた私は、駅前に向かいました。ここには、いつも『BIG ISSUE』を売っているおじさんがいるのです。
・・・
・・・「これ食べてね」とお弁当を渡して去ろうとしたんです。するとおじさんが私を引き留めました。
何かと思ったら、「お礼に」といって、最新号の『BIG ISSUE』をくれると言うんです。
大事な売り物を!
「そういうつもりじゃないので」と言っても頑として譲らない。
「じゃあお金を払わせてください」と言っても断固拒否。
台湾に暮らしているなら考えなくてもわかる、お弁当なんてひとつせいぜい100元程度。そして『BIG ISSUE』も、一部100元。
ああこれは、このおじさんの、「自分はもらわない人間になるんだ」という意志の発現であるのだな、と私は受け取った。これは尊重しなければと思い、一部もらうことにしたのでした。
・・・
・・・立ち去りながら、日本だと路上であんな人間っぽいふれあいにはなかなか出会えないなーと思いました。