信頼し、明け渡す

運命の法則 文庫版

 運についてのお話のつづきです。

 

P190

「運命は変えられるか?」という問いに、算命学は、「宿命は変えられないが、運命は変えることができる」と答えている。

 しかし私の答えはそれとは少し違う。

「運命を変えたい」という表現のなかには、「いい運命」と「悪い運命」を区別する考え方がある。・・・

 しかし、よく考えてみると、いったい何をもって「いい」と「悪い」を区別しているのだろうか。

 人生の目的が富や地位、あるいは名声であるならば、それを手に入れたときが「いい運命」で、そうじゃない場合が「悪い運命」だったということができるだろう。

 しかし、人間的成長、つまり意識の成長・進化を目指している人にとっては、このようなものはかえって邪魔かもしれない。・・・

 だから、崖から転落したことが「悪い運命」かというと、かならずしもそうではないだろう。それによって、自分の思い上がりに気付くことができれば、崖からはいあがったあとに、はるかに素晴らしい人生を送ることもある。・・・

 要するに、「いい運命」も「悪い運命」もないのだ。

 人生においては、一見すると、「好運」あるいは「不運」に見えることが次々にやってくる。だが、それを簡単に「いい」とか「悪い」とかいうふうに判別できるほど「運命の法則」は単純ではない。

 むしろ、・・・出来事はすべて中立で、それについて私たちが単に「いい」「悪い」のレッテルを張っているだけだと解釈するか、あるいは、いっそのこと、すべてが「好運」と割りきってしまうほうが生きやすいだろう。

 昔の人はそれを「人間万事、塞翁が馬」と表現した。まさにそれに尽きるのだ。

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 第12章と13章で、「大河の流れ」について触れ、それが見えてくると人生がスムースになると書いた。

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 それでは、「大河の流れ」が見えるのと見えないのとでは、いったい何が違うのだろうか。

 一番大きなポイントは、流れに逆らって泳がなくなるということだ。だから、他人からは、これといった努力もしていないのに上手に世の中を渡っているように見える。要するに、「大河の流れ」に逆らわない分、エネルギーのロスが少なくなるのだ。

 それと表裏一体になるが、はるかに重要なのが「ジタバタしなくなる」ということだろう。ある意味では、目的意識が薄れてくる、ともいえる。「なるようになれ」という感じだ。

 流れを信頼し、身をまかせてしまうのだ。・・・

 だから、「運命を変えよう」とも思わなくなる。身の回りに起こること、出会う人のすべてに感謝ができるようになっていくはずだ(私自身は、まだそこまでは到達していない)。

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 あらゆる人に「好運」と「不運」の波は絶えず押し寄せてくるのだが、ある人はそれに乗って楽しくサーフィンをしているし、ある人は波に逆らって激しく泳いでいる。また、その波に溺れそうになっている人もいる。その違いは、「いかに宇宙や運命を信頼し、自らをあけ渡すことができるか」にかかっているといってもいい。

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 どんな人でも、自分の運命と向き合い、運命と仲良くしようと決心した日から、新しい人生がはじまる。喜びの人生がはじまる。それでも、人生はすったもんだの連続であり、嫌なことはいくらでも起きるし、嫌な人とも出会う。好きな人と別れなければならない。欲しいものが手に入らない。思い通りに物事が進まない。それによってフラストレーションも感じるだろう。

 だが、運命と仲良くしていると、次第にそういう自分の人生を、まるで人ごとのように客観的に見ることができるようになっていく。相変わらず「好運」や「不運」に見えるものが次々に押し寄せてくるが、「好運」に出会っても有頂天にならず、「不運」に出会っても落ち込んだり嘆いたりすることが少なくなっていくだろう。