プラセボ効果の根拠

患者の話は医師にどう聞こえるのか――診察室のすれちがいを科学する

 プラセボ効果については以前他の本でも読みましたが、コミュニケーションがこんなにはっきり結果に影響するんだと、興味深かったです。

 

P85

 治療者と患者のあいだのコミュニケーションが痛みに与える影響・・・カナダの研究者が腰痛患者一二〇人を四つのグループに分けた。半数の患者は電気刺激を受け、半分の患者は偽の刺激を受けた。・・・偽の刺激を受けたグループの患者に対しては、機械は正しく動いているのだが、これは「新しい機械」のためヒリヒリ感はまったく感じないかもしれないと説明した。

 ・・・多くの他の研究が示すように、偽薬治療(すなわちプラセボ)はかなり有効である―これらの患者の痛みのレベルは二五パーセント減少する。・・・本物の電気刺激を受けた患者のほうでは痛みのレベルが四五パーセント減少した・・・

 しかし、研究はこれだけでは終わらない。この二つのグループはさらに半分に分けられた。半分の患者は理学療法士とかわせる会話が限定された。・・・治療中はずっと静かにする必要があると伝えた。残りの半分では、療法士は治療のあいだじゅうずっと話しつづけた。・・・「治療的提携」を築くことを目指し、開かれた質問や傾聴、患者の生活に腰痛がどう影響しているのかを質問したりした。・・・共感を示しつつ、励ましたり、改善に向けての楽観的な考えを示したりした。目を合わせたり、触れたりすることが多かった。

 当然のことながら、より強くかかわろうとした療法士が担当した患者のほうがよい結果が得られたのだが、その改善の度合いは印象的だ。偽の治療を受けた患者で―電気刺激なし―コミュニケーションを積極的にとろうとする療法士に担当されたものは、痛みが五五パーセント減ったと報告した。ちょっと考えてみてほしい―療法士とのコミュニケーションは治療本体よりも効果的だったのだ(電気刺激だけで痛みが四五パーセント減少したのに対し、コミュニケーションだけでは痛みが五五パーセント減少した)。

 電気刺激を受け、積極的な理学療法士に担当された患者が完全な勝利者で、痛みが七七パーセント減少した。・・・

 ・・・

 ・・・ヒーラーやシャーマンは太古の昔からこの相互作用の重要性を直感的に知っていた。人類が疾病の病理に実際に影響を与えることができる治療法―抗生物質や化学療法、ステント、臓器移植、輸血など―をもつようになる前には、この「その他もろもろ」が医療の主力であり、多くの場合は非常に効果的でもあった。

 しかし、二〇世紀に入って・・・プラセボ心理的なでたらめ、・・・とみなされるようになった。・・・ブレークスルーが起こったのは一九七八年だ。プラセボ効果が本物であることが証明されただけでなく、エンドルフィンをブロックする化学物質であるナロキソン投与によって、効果を逆転できることも明らかになったのである。エンドルフィンとは、からだの中の自家製鎮痛剤として作用する興味深い神経化学物質である。・・・

 このような生物学的根拠にもかかわらず、医師や看護師はプラセボには不安を感じる。・・・しかし、患者の側は実はもっと柔軟な考え方をしていることがわかっている。プラセボが投与されているとはっきり伝えた場合であっても、患者の症状が改善することをカプチュクは示した。・・・

 ・・・私の患者の一人が言ったように「痛みをなくしてくれるならば、私はその薬がキュウリの漬物であってもかまわない!」ということなのだ。・・・

患者の話は医師にどう聞こえるのか

患者の話は医師にどう聞こえるのか――診察室のすれちがいを科学する

 何をきっかけにこの本を知ったのか忘れてしまいましたが、気づけて、読んでよかったです。とても参考になりました。

 

P28

 コミュニケーションは、受診にいたったおもな理由を患者が述べるところから始まる。しかし、・・・このおもな困りごとや主訴の話はすぐに中断させられてしまうことが多い。・・・最初の三〇秒のあいだに医師側が「方向転換」させてしまうことが多い。私自身も例にもれず同罪だ。もし患者にとってもっとも大切なことに私が注目しなければ、話は際限なくあちこちに広がり、診察を終えられなくなるだろう。意図的に医師が無礼を働いているとは思わないが、与えられた時間はいつも短すぎ、そのあいだに臨床的な問題をすべて把握しなければならない。・・・

 もし医師が一言も発しないとしたら、患者は実際にどのくらいの時間、話しつづけるのだろうか?同僚医師数人にアンケートをしてみた。二分と答える人、五分から一〇分という人、そしてわずかながら「診察時間中ずっと!」と言う人もいた。ある医師は、思いやり深く親切な人なのだが、「患者を遮らずに話をさせるべきだと専門家は言うけれど、・・・そんなことをしたら真夜中までかかってしまう!」と私にこぼした。

 スイスの研究グループがこの問いに答えようとした。・・・三三五人の患者の診察が分析された。医師は・・・患者が話を完全にやめるか、発言を求められるまで一言もしゃべらずにいるよう求められた。

 患者の独白の長さの平均は九二秒だった。これだけである。・・・だが、相手はスイス人だ。・・・おそらく饒舌で自慢話が尽きないアメリカ人遺伝子がスイス人患者には欠けているのだろう。私は自分自身で確かめてみることにした。

 スイスの研究を読んだまさにその翌日に、・・・来た患者全員に「今日はなにでお困りですか?」と質問したあとこっそりストップウォッチを押した。最初の患者は三七秒、二人目は三二秒だった。・・・三人目の患者は・・・二分だった。

 しかし、ここでとんでもない伏兵が現れた。ジョセフィナ・ガルザ。・・・ガルザは絶え間ない痛みをからだのあちこちにかかえており、・・・診察ではいつも苦しいと訴え、大量の処置や処方で診察が時間オーバーになるのがあたりまえだった。

 ・・・中断せずに話をさせたなら、・・・彼女の母親の病気から話が始まり、・・・オペラの気の抜けた『トゥーランドット』公演に対する遠慮ない批評も加わるだろう。・・・

 しかし、私は今日は一切中断させることなく患者に話をさせると肝に銘じていた。・・・

 大きくため息をついたあと、戦いの前に気を引き締め、ガルザを診察室に呼び入れた。「今日はどうされましたか?」・・・

 彼女は私のよりもさらに深いため息をついた。「ちょっとしたことでもなにをしても痛むの」・・・彼女があれこれ訴えつづけているあいだ、私はストップウォッチを見ないようにと自分に言い聞かせた。・・・頭皮が敏感でちょっとしたことで痛い。・・・母親が不眠で一晩中、愚痴を聞かされる。

 彼女の話が止まるたびに、私は「他には?」と尋ねるようにした。他の訴えは必ず出てきた。

「まだ四五歳なのに・・・八五歳になった気分。ちょっと歩くだけで痛いし、・・・」

 二言三言メモしつつ、彼女が話しているあいだじゅうずっと目を合わせるようにした。・・・「このさい全部吐き出してしまいましょう」・・・

 さらに話を続けさせ、もっと他にも話すよう促した。・・・ふっと訪れた沈黙のあと、私はストップウォッチに手を伸ばして止めた。・・・八分から一〇分はかかったと予想していたが、実際は四分七秒だった。・・・「へー!」と言いたくなるのをこらえた。

 ・・・

 診察の最後に・・・彼女はこんなことを言い出した。私にとっては本で読んだことはあるが、実際に患者の口から聞くのははじめてだった―「単に全部話しただけなんだけど、気分が晴れました」。

 私は飛び上がってアリアを歌いたい気分になった・・・

至福の時間空間

春夏秋冬いやはや隊が行く

 北の島も楽しそう、美味しそう♪

 

P244

 蘭島の海岸でキャンプすることになった。ここは北海道で最初の遊泳海岸の地である、と海岸沿いの看板に書かれている。まあ北海道は寒いから、その昔はなかなか海で泳ぐということをしなかったのだろうねえ、などと話しつつ、各自個人用のテントを張る。・・・

 季節はずれの海岸にはキャンプのヒトは我々しかいない。・・・

 雲の動きがあやしいのでタープを張って、その下に食事用のテーブルや椅子を置いた。今夜の料理長は三島である。三島はむかしから辛味が好きで、とにかくいつも辛くて辛くて死んでしまいそうな〝死に辛味〟を追究している。その日のメニューは新岡魚店でみつくろってもらった新鮮なヒラメとイクラ、それに、ホッケの開き。ヒラメは贅沢に刺身である。ホッケの開きはアブラが多く、ビールのつまみに申し分ない。

 夕やけが美しかった。余市湾をまたがって山の向こうに赤ダイダイ系のグラデーションが燃えるように天空の半分にひろがっている。いやはや美しい。美しい夕映えの中でホッケをかじりビールをのむ。いやはやうまい。空も美しいが酒もサカナもうまい。うまいが美しい。どうも忙しい。

 海からの風が焚火にほどよい燃焼風をくってくる。煙が地表低くたなびいていき、その中で火がとびはねている。映画のカメラがあったら、静かにじっくり回していたい風景だ。

 ・・・

 ゴハンをたいて、とりたてのごっそりイクラをごっそりかける「とにかくごっそりのイクラ丼」が出てきた。酒のあとにはあまりにヘヴィだが、しかしそれにしてもあつあつゴハンにごっそりイクラである。黙って見ている、という訳にはいかないではないか、というトーゼンの状況判断になる。いつしか全員が夜中のイクラ丼わしわし食いの状態になった。

 やがてポツポツと静かに雨が降ってきた。テントにもぐって雨の音を聞きながら、しずかに本を読む、という「もうひとつの至福の時間空間」に突入していく頃だ。

 ・・・

 シュウシュウと力強い音をたてて燃えるブタンガスランプを横において、ヘッドランプの光の中に文庫本をひろげ、小さく満足のひと息―なのだ。

申しわけないほどの・・・

春夏秋冬いやはや隊が行く

 コロナで出掛けられなかったので、疑似体験的に読みました。

 椎名誠さんが仲間たちと海や山や川で遊んだ記録、読んでるだけでその場にいるような気がして楽しかったです。

 こちらは沖縄のオーハ島でのキャンプ、周囲3キロの小さな島だそうです。

 

P123

 島の朝は早い。ぼくもキャンプの時はやたら早くおきる。まだ暗いうちだ。暗いうちに顔を洗い、すこし体を動かして、体をすっきりさせて、夜があけてくるのをぼんやり待っている、というのが好きだ。

 リンさんも早おきだ。コーヒーをわかしてくれる。ボールの上にワリバシを置いてザルの上に濾過紙を置き、その上にひいたコーヒー。上から熱湯を注ぐ。シェラカップに入れて海や空などがさらに明るくひらけてくる空の周辺を眺める。

 今回のキャンプのテーマはとくに「何もしないこと」である。だから朝めしができても寝ていたい人は寝ていてもいいのだが、みんなおきてくる。チャンプルーをつくるフライパンの音とその匂いで目がさめるのだろう。

 ・・・

 午後は渡船がやってきたので、サンゴの海へ潜った。サザエをとる。船長がオニダルマオコゼを突いた。・・・

 昼めしはタンタンメンであった。あつい中であつくてからいタンタンメンをぐわっと食べて汗をだらだらかき、そのまま海の中に飛びこんでいくのはひとつの人生のシアワセである。

 ・・・

 オニダルマオコゼの刺身。同じくそのカラアゲ、サザエのキモスペシャルで夕方のビールになった。この一瞬がフルエルほどうれしい。船長に氷の補充をしてもらったのでどんどんビールをひやす。

 沖縄のトーフはにがりがきいてうまい。かつおぶしをかけて醤油をたらしてこれもいい肴になる。島らっきょうが泡盛にロコツに合う。申しわけない申しわけないといいつつ、風の中でじわじわ酔っていく。

 大量に獲れたサザエはツボ焼きにすると大変なので船長におしえてもらってそっくりゆでてしまう。そうすると身ばなれがよくてキモまでくるりと引き抜けてしまう。そうかこういうやり方でいいんだな、とリンさんがしきりに感心していた。

 ・・・

 背後のモクマオウの繁る林ではアカショウビンが鳴き、奥武島とオーハ島をへだてる幅四百メートルの川のような海底には小アジサシが朝の食事をしている。

 ・・・

 我々も朝めしとなる。アバサーのみそ汁にヘチマのみそ煮、カジキのづけであついめし。

 この日も基本的に何もしないことにした。各自好きなように海に入って泳ぎ、潜り、午前中のヒルネをし、本を読む。風がずっと吹いているのが嬉しい。

 昼食はひやしうどんであった。リンさんは昼メシはすべてメン類特集と考えているようだ。熱い陽ざしの中で、つめたいうどんがつるつるといくらでも入ってしまうからこの作戦は大成功なのである。沖縄の食事の必需品コーレーグースがぐっとしまりのある辛さをこしらえる。

 ・・・

 ・・・ようやく夕方。比嘉さんのところへ行って体を洗わせてもらい、ついでに水をもらってくる。

 こういう島には漂着物のゴミの中に必ずペットボトルがごろごろしている。ビールはシエラカップではなく、やっぱりすきとおった容器で、あのビールのコハク色と泡をしっかり眺めながらのみたいので、この頃ぼくはそういうペットボトルの下部分をナイフで切って簡易ビールジョッキふうのものをつくりそれでそれでぐびぐびのむことにしている。そのほうが数倍うまい(よーな気がする)。

 まずは本日の収穫物、もずく酢が出てきた。もずくうどんのようでうまいのだ。サバニの漁師からもらったグルクンをじっくり網でやく。サザエの刺身。夕陽にビールをすかしてのむ。申しわけないくらい本日もいい気分ですぎていく。風がいくらかつめたくなり、海の鳥が帰っていく、星が見えはじめる頃、焚火の火をつけた。

 

 

あらゆる経験を大切に

「これからの世界」を生きる君に伝えたいこと

 人は経験を栄養にして育つのだなぁと思いつつ読みました。

 

P58

 最近、学生たちから尋ねられることが増えた相談があります。

「人生の目標って、どう考えればいいんですか?」

 細かな部分は差がありますが、学生たちの話の本質を抜き出すと、この疑問が強いのです。

 ・・・

 ・・・私からのアドバイスは、

「目標は、自分自身のためにあります」

 ということ。目標を達成することで自分が何を得られるか、を考えるべきです。

 ・・・

 よく、ボランティアの現場で「私は他人を幸せにしたい」という人たちがいます。ボランティアに取り組む姿、そして他人を幸せにする行為は素晴らしいと心から思います。

 一方で、ボランティアをする過程では、自分自身が得ているものを、ないがしろにしてはいけません。ボランティアによって得られる満足度や充実感こそボランティアの原動力になっていることでしょう。

 ボランティアに限らず、仕事でも趣味でも人生の中で他者と関わり、他者に貢献していくことは不可欠ですが、まずは「自分が主役である」という意識が基本となります。

 なぜなら、他人のために自分を犠牲にする発想を持たないでほしいからです。

 あなたは、いったい何に満足するのか。

 この基本をわきまえていないと、周りに流されてしまうだけになります。

 ・・・

 私自身、学長になることを目指して生きてきたわけではなかったからです。

 マリで暮らしていた頃から、私は将来の自分がどうなるのか明確にイメージしてはいませんでした。

 日本に暮らすなんて想像していませんでしたし、大学の学長になるという思いも寄らないコースを歩むことになりました。

 ただ、一つだけ心がけていたことがありました。

 一分一秒を大切に過ごすということ。

 とにかく遊びも含めた学びの姿勢を重視し、あらゆる機会を通じて、いろいろな経験を積み重ねてきました。

「これからの世界」を生きる君に伝えたいこと

「これからの世界」を生きる君に伝えたいこと

 サコさんのお話が興味深かったので、もう一冊読んでみました。

 

P4

 社会や人間について深く考えるようになったのは、マリの外に出てからです。

 ・・・

 それまで、私はマリという国の優等生として、自尊心を持ちながら生きてきました。

 もちろん、母国の歴史にも誇りを抱いていました。

 ・・・

 ところが、いざ外国に出てみたら、そういった尊厳がすべて崩れ落ちる経験を余儀なくされたのです。

 最初のショックは、留学のためにマリを出た初日にやってきました。中国に向かうのに先立ち、フランスのパリに2~3日滞在する機会があったのですが、そこで街を歩くうちに違和感に気づきました。

 現地で道路やトイレを清掃しているのは、アフリカ系の移民ばかり。若い私は、同胞たちが、わざわざパリに移住してトイレ掃除に従事しているなどとは、まったく想像していませんでした。

 どうやらパリでは、アフリカ系の人たちが低賃金で苦しい生活を送っているようなのです。

 ・・・

 初めて自分の限界を感じ、アイデンティティが無視され、尊厳がゼロになったような気がしました。

 ・・・

「自分は本当に人間なんだろうか。人間として認められているのだろうか」

 たった数日の滞在でしたが、拭いきれない大きな疑問を抱いて呆然としていたのを記憶しています。

 中国に渡ってからも、さまざまな偏見や誤解にも直面しました。

「君の国では、木の上で生活しているの?」

 そんな質問を受けるのは日常茶飯事でした。・・・

 そんな経験をして良かった、とは言いません。

 ただ、「自分自身が認められるにはどうしたらいいか」を考えて行動する大きなきっかけになりました。

 ・・・

 本書でお伝えしたいことはたくさんあります。

 ・・・

 それは「メタモルフォーゼ」、日本語に訳せば「変身」「変化」です。私なりの言葉にするならば、

「核となる自分自身を保ったまま、社会に適応した自分をつくっていく」

「中身を維持したまま、外側を変化させていく」

 というように表現できるものです。

 ・・・

 私は、日本国籍を取得した日本人ではありますが、決して日本に同化をしてきたわけではありません。

 ・・・

 異なる社会・文化と関わるにあたって大事なのは、「全く異なる視点を持っている自分」を維持すること、そして相手も同様だという認識です。

 人は同化して流されてしまうと、その社会や文化を客観的に見られなくなり、結果的にその社会や文化に対して価値を与えられなくなります。

 自分が、「自分」であり続けることが、外国へ行った時に、非常に大きな意味を持つのです。

 ・・・

「メタモルフォーゼ」という考え方を重視してきた背景には、私がマリという国に生まれ育ち、日本で暮らすようになった経緯があります。

 日本での暮らしで言葉や文化の壁にぶつかるたびに、私は何度となく、

「マリとはどういう国なのか」

「自分が大切にしている文化、価値観とはどういうものなのか」

 といったことを自問自答する機会がありました。さらにいえば、日本に住んだおかげでマリについてより深く知ることができたわけです。

囚人のジレンマ実験

武器になる哲学 人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50

 繰り返した場合どうなるかというのを初めて知ったので、興味深かったです。

 

P190

囚人のジレンマ」は、もともとは1950年、プリンストン大学の数学者アルバート・タッカーが講演の時に用いた一種の思考実験です。・・・

囚人のジレンマ」とは、次のような思考実験です。二人組の銀行強盗が警察に捕まって別々の部屋で取り調べを受けている。検察官は二人の容疑者に対して次のように迫ります。「もし、両者とも黙秘を続ければ証拠不十分で刑期は1年。二人とも自白すれば刑期は5年。相方が黙秘を続けているとき、お前が自白すれば捜査協力の礼としてお前は無罪放免、相方は刑期10年だ」と。

 このとき、二人の囚人はこのように考えるはずです。「もし相方が黙秘する場合、自分が自白すれば無罪放免、自分も黙秘すれば刑期1年で、この場合自白した方がいい。一方、相方が自白するのであれば、自分も自白すれば刑期は5年、自分が黙秘すれば刑期10年で、こちらの場合もやはり自白した方がいい。つまり相方が自白しようが黙秘しようが、こちらにとってはいずれの場合でも自白が合理的だ」と。結果的に、二人の囚人はそろって自白し、どちらも5年の刑を受けることになってしまうという話です。利得を最大化するための合理的な戦略を採用した結果、必ずしもプレイヤー全体での利得は最大化されないという話で、専門的には非ゼロ和ゲームといいます。

 ・・・実際の人間社会はそれほど単純ではなく、協調か裏切りかの選択を何度も繰り返すことになります。この「何度も繰り返す」という面を反映させて、社会における人間の意思決定へより深い示唆を与えてくれるのが、その名もズバリ「繰り返し囚人のジレンマ」と呼ばれるゲームです。

 このゲームでは、プレイヤーはそれぞれ「協調」と「裏切り」のカードを持っていて、合図と共に同時に相手にカードを見せ合います。もし二人とも裏切る場合、二人とも1万円の賞金を得る。もし二人とも協調すれば二人とも3万円の賞金を得る。もし一方が裏切り、他方が協調すれば裏切った側に5万円の賞金が与えられ、協調した側には何も与えられません。さて問題です。最も高い賞金を得るためには、どのような選択を行うべきなのでしょうか?

 このゲームは、そのシンプルさからは信じられないような大変な論争を巻き起こし、最終的にミシガン大学政治学者ロバート・アクセルロッドは、この「繰り返し囚人のジレンマ」をコンピューター同士に戦わせて、どのようなプログラムがもっとも高い利得を得るかをコンテストで競わせることにしました。このコンテストには、政治学、経済学、心理学、社会学などの分野から14名の専門家が練りに練ったコンピュータープログラムを引っ提げて参加し、アクセルロッドは、これに無作為に「協調」と「裏切り」を出力するランダム・プログラムを加えて総計15のプログラムによる総当たり戦を行わせました。実際には一試合につき200回の「囚人のジレンマ」ゲームを行い、それを計5試合行って平均獲得点を比較するということにしました。

 さて、その結果を見て関係者は大変驚いた。優勝したのが、応募されたプログラムの中でもっともシンプルな、たった三行のものだったからです。このプログラムはトロント大学の心理学者アナトール・ラパポートが作成したもので、具体的には、初回は「協調」を出し、二回目は前回の相手と同じものを出し、以下それをひたすら繰り返す、という極めてシンプルなものだったのです。

 実はこの実験には・・・いろいろと批判もあるのですが、それはちょっと横に置いておいて、当のアクセルロッドが整理した「このプログラムの強さのポイント」が興味深いので説明しましょう。

 第一に、このプログラムは自分からは決して裏切りません。まず協調し、相手が協調する限り協調し続けるという「いい奴」な戦略です。

 その上で、第二に、相手が裏切れば即座に裏切り返します。協調してばかりだと相手が裏切った際に損失が膨らみますが、即座にペナルティを向こうに与えるわけです。「いい奴」だけど、売られたケンカは買う、ということです。

 さらに、第三のポイントとして、裏切った相手が再び協調に戻れば、こちらも協調に戻るという「寛容さ」を持っています。終わったことは水に流して握手、というナイスガイな戦略です。最後に、このプログラムは、相手側からすると「こちらが裏切らない限りいい人だけど、こっちが裏切ると裏切る」ことが明白で、非常に単純でわかりやすく、予測しやすいという特徴があります。

 ・・・この非常に単純な戦略は大変堅固で、この数年後・・・統計解析を駆使して打ち手を出力するような高度なプログラムをも含む遥かに多くの競争相手と対戦しながら、やはり再度優勝しています。・・・