以前の体験記録2

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 こちらは、トータルセルフ体験コースhttps://www.aqu-aca.com/seminar/totalself-xp/

の記録です。

 

#2013.7.15 トータルセルフ2日目の初めの方のセッションで受け取ったメッセージ

「怖れはやさしさでもある。悲しみなども、感情の音色の一つ。美しい音色。泣いて、笑って、感情の波をもっとほぐして。もっと波動が響き合う。ハートの目で世界を見ると、悲しみにさえ感動する。生き生きとした表現。もっともっとハートを開こう。」

「誰かを応援する日々を送ることは、大きな喜びになる」

 

#2013.7.15 最後の「アクアパレスからI/Thereへ」というセッションでの体験

 宇宙空間で、ありがとう、ありがとう、と呼びかけると、あちこちから「ありがとう」が返ってくる。背骨の下の方からエネルギーが上がってくる感じ。ハートが温かく安らかで心地いい。慈愛で満たされたような、ハートを産湯に入れてもらったような、私のハートが赤ちゃんで、ぬるま湯に浸かってるみたいな、ずっとこのままでいたいような安らぎ。

 なぜか戻ってくる時のフォーカス15でマヨネーズを選んでた(笑)。

 

#2013.7.15 帰宅後の気づき

 今までは体験したことについて分析しがちだったというか、ガイドさんに意味を確認しながら進めることが多かった。でも今回はまるでプレイセラピーみたいに、ガイドさんを100%信頼して、見守ってくれてる安心感の中で、好きなように体験に没頭、集中してみた。するとその最中にどんどん変化が起きて、帰る頃には相当身軽に変化したのがわかった。大人が言葉を介してカウンセリングを進めるのに比べて、子どものプレイセラピーって変化が早いのはこういう訳か、としみじみ実感。

 

以前の体験記録1

 ヘミシンクセミナーのたびにノートに記録をとるので、いつのまにか何十冊もたまってしまい・・・このお盆休みにようやく少し整理しました(;^_^A

 これは覚えておきたいな、というものを書きとめておきます。

 ほんの数年前なのに、ノートをめくっていると、まだこんなに狭いところで考えてたんだな~ということにも気づき、今の状態をありがたく感じました。

ゲートウェイ・エクスペリエンス第1巻: The Gateway Experience Wave I DISCOVERY(ディスカバリー)3枚入り(日本語版) [ヘミシンク]

#2013.7.13 F10入門を聴いた時にふと浮かんだ気づき

 森岡万貴さん(「ベールを脱いだ日本古代史」シリーズに登場する、巫女さんタイプの音楽家です)からエジプトのファラオの試験について聞いたことを思い出した。

 ファラオになるためには、ワニがたくさんいる水槽を歩いて渡りきらなければいけないって言ってたけど、自分の中の怖れや不安を全て失くしておかないと、ファラオ級に願望実現しやすい力を持ったらキケンだな。その意味でも、リリース&リチャージが大事なのだな。

 

#2013.7.13 リーボールの実験をした時の気づき

 リーボールを確認する時、ヒーリングの気持で丁寧にやるといいかも。大きさだけでなく、心地よさとか、気配、雰囲気を感じられるといい。自分はリーボールを張ると、落ち着いて温かくなって、プラーナ管をエネルギーが通るのを感じた。みんなでエネルギーを回したら、手の感覚がすごくわかりやすかった。

 

#2013.7.13 インナージャーニーを聴いた時ふと浮かんだワード

 笑いと愛と感謝。

 

#2013.7.13 リリース&リチャージで出てきた過去世

 外国?アラビア?辺りの王様みたいな。白い帽子、白いふくらんだズボン。女の人の相手とか、予算の割り振りとかが面倒で、お金が絡むと人の画策が見え見えで、うんざり。一番気の合う好きな女性がいるのに、みんなに目をかけなくてはいけない。やらなきゃいけないことがいっぱいで、自由もない。自分の気持だけでは身動きできない。・・・という人生の次は、托鉢僧みたいな、シンプルすぎる人生で、清々しかった様子。ああなんて楽なんだろう。女性の相手やお金のことを考えず、祈りに専念していればいいなんて、と。精神の自由を満喫している様子がリアルだった。

 

私はあなたです

セオリツ・ヘミシンク

 瀬織津姫からメッセージをもらう、という瞑想をした後のお話です。私もガイドさんから「私はあなたですよ」と言われるので、共感しました。

 ガイドラインhttps://www.aqu-aca.com/seminar/guidelines/に参加したとき、ガイドさんたちの愛があまりにも大きいというか深いというか、どこまでも愛されていることにびっくりしたのを思い出しました。

 

P95

山水 瀬織津姫の姿は見えませんでしたけど、声というか言葉というか……照れちゃうんですが……笑ってもいいですよ。

 愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、

 あなたは私、私はあなた、

 あなたは私、私はあなた、

 愛してる、愛してる……

 実はですね、これ、僕、いつもこうなんです。

 日常生活をしていても姫を想う時はいつもこう、だから変わらなかったんです。

 ・・・

坂本 ・・・今言われましたけど「あなたは私、私はあなた」って、それが究極なんですね。

 瀬織津姫とつながるということは、外にいらっしゃるわけですね。それと自分は離れているからつながるという、そういう意識で、そこに行ってつながりますという。

 最初はそれでいいと思うんですよ。それが段々一体化してきて「あなたは私、私はあなた」と、結局、自分が瀬織津姫というか、むこうのそういう存在なんだと、そういう認識になってくるんですね。

「あなたは私です」って言われたって、「え~まさか」とかね、「そんな~違いますよ~」とか言うんですけど、「いや、あなたは私で、私はあなたですよ」って言われるんです。

 はじめはそういう感覚が全然ないわけですけれども、だからこそ、この「つながる」という意識があるわけなんですが、山水さんはず~っと12年と言われますけど、ずっとやってくると、段々、一体化が深まってくる。そうすると、自分なのかな……みたいな、そういう感覚を段々持つようになりますね。

 だからそのためには、やはり瀬織津姫とつながる練習をするというのがすごく重要なのね。

 そうすると段々深まってくるというのがあって、日常になっちゃうと言われてましたけど、本当にそうなっちゃうんですね。

 ヘミシンクっていうのはそういうことを可能にしてくれる道具なんですけれども、目的はそこなんですね。自分が、神という言葉がいいかどうか分かりませんけど、むこうというか、常に自分なんだって、瀬織津姫にしても何にしても自分だっていう一体感。

 素晴らしいですね。それを先に言ってくださって。

つながるとは共鳴すること

セオリツ・ヘミシンク

 同じことですが、つながろうつながろうと意識するよりも、共鳴しようと意識した方がつながりやすい気がします。

 

P89 

坂本 自分のガイドというかね、人それぞれ違うんですね。みなさんにそれぞれいるんです。ガイドなんだけど瀬織津姫的なエネルギーを象徴しているガイドが。そことつながるのは簡単にというか、できます。本当の意味での上の瀬織津姫にももちろんつながることはできるんですけど、ガイドを経由してつながるという感じですよね。ワンクッションあるという。

 ・・・

 結局、共鳴なんですね。全部、共鳴してるんで、ガイドを経由して上の存在と共鳴しているんで、基本的に上の存在とつながってるんですけど、間に一枚入って共鳴して、自分は上の存在とつながってるということなんです。そういう感じですね。バシャールも同じようなこと言っててですね、基本的に共鳴なんだと。

 チャネリングも共鳴で、自分とガイドや上の存在が共鳴して、エネルギー、情報をいっしょにもらう。もらうというか、いっしょに考えているような感じですね。・・・

セオリツ・ヘミシンク

セオリツ・ヘミシンク

坂本さんと山水さんの対談を収録した「セオリツ・ヘミシンク」を読みました。

共感するところも多々あり、面白かったです。

こちらは、山水さんが考えていたことと同じことを坂本さんが言ってくれて、うれしかったという話です。

 

P13

山水 ・・・何が合致して喜んだかといいますと、僕が坂本さんとお会いするふたつ前の本に『瀬織津姫神話』という本がありまして、そこに、瀬織津姫は大きく分けてですよ〝十二段ある〟と、本当は無数にあるわけですけど、その人の次元にあったレベルの瀬織津姫様が相手をしてくれるということを書いたのです。・・・自分が上がっていけば上がっていくほど、同じ瀬織津姫様でもその次元の瀬織津姫様と対等になれるといいますか相手にしていただけるといいますか、そういうことを書いていたわけです。

 ・・・

 ヘミシンクもいろんなレベルがあって、その階層によって繋がるアレが違いますでしょう?

 

坂本 今その話をしようと思っていました。・・・ 

 ヘミシンクを聴いていると、いろいろなセミナーに参加したりして段々上の方の意識とつながれるようになってくるんです。・・・モンロー研だと意識レベルというものに「フォーカスレベル」という番号をつけてるんですね。そのフォーカス42とか49というと、かなり上の方なんです。

 その辺まで行くと、世界的にいろいろなところで神様として祀られているような存在と会って交信することが可能になってくるんです。・・・僕はヘミシンクのあるプログラムでずっと上の方へ行った時に、多分自分のず~っと上の方の存在でもあるのですけれども、観音菩薩的な存在にアクセスしたわけです。

 あ、その前にですね、古代ローマの月の女神ディアナという、その存在だと自分が直感した女性性の女神に、フォーカス42とか49ぐらいで遭遇し交信したことがあるんです。・・・

 ・・・もっと前、20年位前ですかね、秋山眞人さんという・・・彼に会った時に「坂本さん、後ろに古代ビルマの女神がいますね」と言われたんですよ。

 それを思い出してその存在に「古代ビルマの女神ですか?」と聞いたら、「わたしは世界でいろいろな名前で呼ばれています。地域によっていろいろな名前があるのですよ。日本ではペケペケ姫と呼ばれています」と言われたんです(笑)。チャネリング的な情報というのは、自分の中に語彙がないと把握できないのです。いくつか「〇〇姫」と呼ばれていますと言われ、誰だろうと思って後から調べました。

 ・・・ディアナとも呼ばれている存在だと思ったんです。観音菩薩と同じような、癒し、浄化、慈悲や愛情といった、そういうエネルギーなんです。・・・インドのサラスヴァティ、弁財天、エジプトのイシスとか、日本だと瀬織津姫かな……と、名前を後で調べて、あぁ、瀬織津姫、ぴったりだなぁと思ったのです。

 ・・・

 先ほど山水さんが言われたそのままなんですけど、その存在が言うにはいろいろなレベルで自分の分身というか、そういうのがたくさんいるんだと、高いフォーカスの存在なんだけど、低いフォーカスになると更にいろいろな姿で具現化していると。・・・

男と女の台所

男と女の台所

「東京の台所」が面白かったので、こちらも読んでみました。

 この本も、みんな色々ありながら生きてるんだよね、と心強い仲間がいるような気持ちになりました。

 

P3

 台所とはひどく不思議な空間だ。初対面にもかかわらず、心の深いところの澱や苦しみを話し出す人もいる。過去の辛い別れや、現在の迷いや悩みを吐露する人も。ふだんは他人に見せない奥の院だからこそ、そこに踏み込んだとき、人は心の鍵を少し開けるのかもしれない。反対に、幸せや喜びは、並んだワイングラスや作り置きのグラタンから、どんなに隠しても溢れ出てくる。

 本書では、「愛」をテーマに台所を描いた。心の内を聞くために、年をまたいで何度か通った。その間に籍を入れた人もいる。大きな土鍋が増えたり、あるいは家族が減り、食器棚を丸ごとなくした人もいる。

 通いながら考えた。なぜ、台所にはこれほど人間くさい物語がつまっているのだろう。これは、取材当初、私自身想像をしていなかったことでもある。ドラマはあるだろうが、そこに夫婦の愛や老い、生きがい、ひいては人生を考える萌芽まで潜んでいるとは思ってもいなかった。

 だが、次第にわかってきた。

 多くの人は、元気がある日もない日も、ご飯を作らなくてはならない。ケもハレも、台所に立ち、何かを作る営みは変わらない。喧嘩をして怒りをこめて皿を洗っても、仲直りをしてうきうきと彼の好きなつまみを作っても、ふたりがひとりになっても、ふたりが三人になっても、だれにも同じ明日が来て、やっぱり昨日と同じように、生きていくために台所に立つ。そこには、とりつくろうことのないありのままの自分がいる。

 

東京の台所

東京の台所

100人の台所の写真と、それぞれのエピソードを紹介した本を読みました。知り合いではないけれど、今ここに生きてる仲間がたくさんいる…そんな気持ちになりました。

 

P170

 本書のテーマを東京に限定したのは、私自身が長野の田舎から上京して、東京という記号に特別の思い入れがあったからである。どんなに都会で颯爽と暮らしている人でも、きっと地方から出てきた人は、台所から故郷の痕跡がみえるはずだと思った。

 また、東京生まれならではの物語もある。相続で手放さねばならなくなった人の家に呼ばれ、最後の情景を撮ったり、もうすぐ離婚するという人の台所を撮った。しんとした広い台所のあちこちに、住人の淋しさのかけらが落ちているようで、こちらまで胸が詰まることがあった。

 東京でのひとり暮らしには、自由も不自由もある。

 四十五歳独身、フリーライターの男性は好きなときに呑み、好きなときに寝起きし、男女の友達を招いては手料理を振る舞う会を楽しむ気ままな生活だが、そんな自由より一緒に暮らすパートナーが欲しいとつぶやいた。ある年齢になると、作りすぎた料理を分け合う相手がいない不自由が、東京暮らしの楽しさを凌駕する臨界点が来るらしい。

 ・・・

 最後に、七十五歳の女性の忘れられない言葉を紹介したい。

「豊かな孤独は大事。でも孤立はだめ。とくに年寄りはね」

 高齢のひとり暮らしの人ほど、取材を断られることが多かった。豊かな孤独か、あるいは孤立か。どちらであっても、あらがいがたい東京の現実を写してみたかった。