自分に寄らない

そして生活はつづく (文春文庫)

あまり自分に目がいくと…自分のことを思いすぎない方が、精神的によさそうです(^^;

 

P127

 ・・・内気で自己中心的な非常にめんどくさいタイプの私・・・そんなめんどくさいタイプの自分とはなるべくおさらばしたい。しかし、そういったことを考えている自分もまた、自分のことしか考えていない自己中心的な「気にしい」であることに変わりはない。って、この短い段落に自分という言葉が三回も出てきた。めんどくさいなあ、自分。

 私の大好きな落語家、二代目桂枝雀はあるテレビ番組でこのような発言をしていた。

「気が寄る」というか。

 自分のことを、思いすぎるんですね。

 でも、実は自分を思うことが自分を滅ぼすことなんですな。

 人を思うことが、本当は自分を思うことなんです。

 レコーディングスタジオのロビーでその番組を偶然観てしまった私は「ああもう、その通りだよう」と一人で呟いてしまった。

 確かに、自分のことばかりを考えている人より、人をあっさりと思いやれるような人のほうが魅力的に見える。自分の立場とかプライドとか、そういったものを常に考え、なるべく自分が損しないようにいつもビリビリしているような人より、たとえ自分が多少損をしたとしても「いいじゃない」とあっさり前に進める人のほうが、ストレスも少なそうで、かつ生きることを楽しんでいるようにも見えるだろう。ちなみに私は思いっきり前者である。

 話は変わるが、以前受けた取材の中で「音楽と演劇って共通する部分はあるんですか」との質問に、「自分がなくなることです」と答えたことがある。

 ・・・

 ・・・ごくたまに、演奏が盛り上がり、観客との一体感が生まれ、それが最高潮に達すると、まるで「自分がなくなった」ような感覚に陥るときがある。

 ・・・普段自分を思う気持ちでがんじがらめになっているものから解放されて、楽しくて仕方がない。

 ・・・時たま考えなくてもセリフがスラスラと出てきて勝手に体が動いたり、・・・「その役になりきらなきゃ」という気持ちもなくなり、自分がまったく誰でもなくなるという不思議な瞬間がある。・・・

 それが客観的に見たらどういう状態なのかはわからないが、個人的には仕事や日常のいろいろから解き放たれたようで、とても気持ちいい。そういった状態を私はいつも、「自分がなくなる」と呼んでいる。

 ちなみに枝雀さんはこうも言っていた。

 なんといいますか、同じようなことを楽しいと思い合うっていうんですかね。

 そんな風なことが落語をやっていく上で大事なんではないかと思うんです。

 気持ちが「いけいけ」になるんですね。

 あなたも私もないようにね。

 それが「笑い合う」っていうことなんでないかなあと。

「あなたも私もないように」というのは、おそらく私が舞台やライブ会場で感じた、自分がなくなったという感覚と同じものなんじゃないか。自分だとか他人だとかいうことがどうでもよくなる瞬間、それは仕事や日常をよりよく過ごすためのヒントではないかと思う。