星野源さんの初期のエッセイを読みました。おもしろかったです。
P25
つまらない毎日の生活をおもしろがること。これがこのエッセイのテーマだ。なぜこのテーマを選んだかには一応理由がある。
人は生まれてから死ぬまでずっと生活の中にいる。赤ちゃんとして生まれてから、やがて年老いて死ぬまで生活から逃れることはできない。誰だってそうだ。
一見華やかな世界にいるように見える芸能人や、一見ものすごく暗い世界にいるように思える犯罪者だって、当たり前に生活をしている。その人のパブリックイメージと実際の生活は、必ずしも一致するとは限らない。
たとえばアカデミー賞の授賞式。ファンの声援に応えながらレッドカーペットを歩いているスター俳優の家の炊飯ジャーでは、一昨日炊いて食べ残したご飯が黄色くなり始めているかもしれない。
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どんなに浮世離れした人でも、ご飯を食べるし洗濯もする。トイレ掃除だってする。・・・一国の首相だって、たまたま入ったトイレのウォシュレットの勢いが強すぎてびっくりしたりする。どんなに凶悪な殺人犯だってご飯を美味しいと思う。・・・
たとえ戦争が起きたとしても、たとえ宝くじで二億円当たったとしても、・・・現実を目の当たりにしながら、人は淡々と生活を続けなければならない。
全ての人に平等に課せられているものは、いずれ訪れる「死」と、それまで延々とつづく「生活」だけなのである。
でも私は、生活というものがすごく苦手だ。
昔から、この劣等感の塊のような自分から逃げたいと思っていた。だからそんな自分を忘れさせてくれる映画や芝居、音楽やマンガなどに夢中になった。しかし夢中になればなるほど、その逃避の時間が終わって普通の生活に戻る瞬間、とてつもない虚無感に襲われた。でも当たり前だ。逃げているだけでは自分は変わらない。
そこで私は、その逃避できる世界を作る側に回りたいと思った。・・・
しかし大勢の人の前で芝居をして拍手をもらい、一万人の前で演奏して拍手をもらっても、一度家に帰ってひとりになると、そこにはあの小学生のときに感じた、とてつもない虚無感が変わらずに広がっていたのである。
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私は生活が嫌いだったのだ。できれば現実的な生活なんか見たくない。ただ仕事を頑張っていれば自分は変われるんだと思い込もうとしていた。でも、そこで生活を置いてきぼりにすることは、もう一人の自分を置いてきぼりにすることと同じだったのだ。楽しそうに仕事をする裏側で、もう一人の自分はずっとあの小学生の頃のつまらない人間のままだったのである。・・・
そんなわけで生活をおもしろがりたい。
しかし、・・・むやみに頑張るのではなく、毎日の地味な部分をしっかりと見つめつつ、その中におもしろさを見出すことができれば、楽しいうえにちゃんと生活をすることができるはずだ。・・・