だから、ひとり暮らし

だから、ひとり暮らし

 みなさんそれぞれいろいろあって、それぞれに落ち着くスタイルがあるんだなーと思いつつ読みました。

 

P3

「ひとり暮らし」が増えている。

 2020年時点で全世帯のうちじつに38.0%が単独世帯であり、2050年には44.3%に達すると推計されている・・・望んでそうしている人もいれば、そうでない人もいるだろう。

 いずれにせよ、「誰かと暮らす」ことが当たり前ではなくなった。

 どんなふうに暮らすかも、それぞれが選び取る時代。それなのに、私たちはいまだに「仕事」「結婚」「家族」など、かつての〝正解〟の生き方に縛られてはいないだろうか?

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 現代は、未婚率とともに、離婚率も上昇し、高齢化による死別も多い。「誰かと一緒か、ひとりか」では暮らしを割り切れない今、それぞれが「個人として自立し、なおかつ自分らしくいられる」かたちを探している。取材を始めてから、ひとり暮らしというテーマを軸にしながらも、この取材は「現代の暮らし方そのもの」をめぐるものであると、気がついた。

 

P15

「老後にはあり余る時間と自由がある。足りないのはお金だけ」

 と語るぺこりーのさんは、妻との死別をきっかけにひとり暮らしになった。

 最初にアップした「ようやく妻が死んでくれた」というタイトルの動画は2025年7月時点で876万回再生されている。

 妻に先立たれ、ひとり身になったぺこりーのさんは何も手につかず、喪失感に沈んだまま5年を過ごした。妻の生前の30年間、彼女がそばにいることが当たり前すぎて、「ひとりになって、もっと自由に過ごしたい」と思うことすらあった。しかし妻が亡くなったことで、隣にパートナーがいることがいかに幸福なことなのかを悟る―そんな内容の動画だ。

「今パートナーと生活している人には、今日を大切に、できるだけ長くふたりでいてほしい」。最後に投げかけられたその言葉が、多くの人の胸を打った。

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 ・・・年齢を重ねるほどに大切なのは、日々のなかでどれだけ〝心が動く瞬間〟を持てるか。ぺこりーのさんが喪失感に苛まれた日々から再び前を向けるようになったのも、そんな小さな心の動きを大切にしたからだった。

「妻の最期の1年間が『晩年』だったと気づいたとき、『もっと楽しいことを一緒にしてあげればよかった』と後悔しました。でも、しばらく経つと、後悔以上に妻がもたらしてくれていた日々の幸せに、感謝の気持ちが湧いてきたんです」

 妻が日常的につくりだしてくれていた「楽しいこと」に思いをめぐらせ、彼は料理を始めた。彼女が残したレシピノートを見ながら台所に立ち、つくった料理で一杯やる。思い出に触れながら、少しずつ自分の生活を組み立てなおして、今がある。

「今の部屋は広くないけれど、自分が好きなことをするには十分。料理をしたり、布団にごろっと横になって酒を飲んだり。そんな時間を動画でYouTubeにアップしたら、多くの人がそれを観て、反応してくれる。楽しみを発信することが、収入にもつながる。僕にとってはそちらのほうが、お金をたくさん使うことよりも〝贅沢〟だと感じます」

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「好きな人を失った悲しみって、身体を動かす力そのものを奪っていく。でも、心がちょっと動くことさえ見つけられたら、そこから少しずつ歩き出せる。僕にとっては料理や酒だったけれど、誰にでもそういう〝好き〟はあると思うんです」

 

P69

 佐藤さんがこの部屋に引っ越してきたのは、2年前のこと。きっかけは、仕事と婚活の行き詰まり、そして失恋の痛みだった。けれど実際の理由は、もっと奥深いところにあったのかもしれない。

「20代後半って『30歳までに』っていう焦りが、すごくあると思うんです。結婚して、子どもを産むことのリミットが、世間からも設定されているような気がするから。私も子どもは欲しいなと思っていて、当時は福利厚生がしっかりしていることを重視して、働く会社を選んでいました。でも実際に働いてみると、肝心の仕事内容が合わなくて。分野自体はやりたかったことなんですが、担当するのはプロジェクトの一部だけ。手応えが感じられなかったんです」

 仕事だけではない。いわゆる婚活も佐藤さんには合わなかった。

「婚活アプリも合コンもいろいろ試したけど、楽しくなかった。『こうしたら好かれる』っていう情報はあふれているから、頭ではわかります。でも、そうやって誰かの理想に合わせていくのって、しんどいですよね」

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 そんな彼女にとって、「誰かと暮らすこと」は、今は切実な目標ではなく、自然に願う未来のひとつだ。

「誰かと一緒に生きられたら、それはきっと素敵なことだと思います。子どもも、授かれるなら欲しい。私は7人きょうだいの6番目で、実家はすごくにぎやかな家庭だったんです。私たちを育ててくれた両親に感謝していますし、太陽のような母の存在に憧れる自分もいます。でも、『こうでなきゃいけない』っていう気持ちはだいぶ手放せるようになってきました。今は自分らしくいられる時間を大事にして、そのうえで自然にパートナーに出会えたら。そんなふうに思っているところです」

 

P81

 糟谷明範さんは、・・・二度の離婚を経て、今は独身。けれど、他人に無関心なわけではない。むしろ彼は、「支える」という行為を、人一倍、真剣に考えてきた。訪問看護に加えてカフェの運営も手がけ、人とのつながりを問い続ける糟谷さんは、東京郊外のログハウスでひとり暮らしをしている。

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 訪問看護の会社を立ち上げた年に、母がALSという難病を発症してしまう。なんという運命なのだろう。しかし告知を受けたとき、母・敦子さんは「明範はいろんな知識もあるし、周りに医療関係の友達がいっぱいいるのは知っているから、ショックは少ないの」と気丈に振る舞ったそうだ。敦子さんはいつも「大丈夫」と言いながら、父の依存症に悩む家庭のなかで、精神的な支えであり続けていた。そんな母が進行性の難病であることを受け入れなければならない。家族の辛さは壮絶なものだったに違いない。

「でも、家族が全部を引き受けなきゃならないわけじゃない。身内だからと無理をしてしまうと、心身ともに疲弊して続かない。それはわかっていました」

 糟谷さんは仕事柄、病気をきっかけに家族が壊れてしまう例を嫌というほど見てきた。だからこそ、自身は引き受けすぎずに、母の病と関わる選択をした。実家に同居するのではなく隣に居を構え、家族だけでなく自分の会社のメンバーの手を借りつつ、母の看護にあたることにしたのだ。

 関わり方にも、距離感にも、選択肢がある。関係のあり方を選ぶことを、彼は自らの家族の看護で実践しようとした。

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 仕事では力強く理想を実現しようとする糟谷さんだが、プライベートではずっと揺れているという。

「職場では、ちゃんと笑っていられるんです。でも帰り道、ふと『これでよかったのかな』と不安になる瞬間がある。人が好きで、関わりをつくるのも得意。それなのにどこかで人を受け入れられない自分や、距離を置きたくなる自分もいる」

 彼はこれまでに、二度の結婚と離婚を経験している。ひとり目のパートナーとは20代で結婚。しかし当時の結婚観は憧れに近いもので、約2年で離婚した。二度目の結婚は、ちょうど起業と母の発病が重なった時期だった。

「たぶん、あの頃は本当に余裕がなかったんです。家族のこと、会社のこと、気持ちの切り替えがうまくできないまま、全部を抱え込んでしまって。気づいたときには、相手と目線がまったく合わなくなっていました。きっと僕は、結婚には向いていないのだと思います。今も誰かと生きていく可能性を完全に手放したわけじゃないですけど、昔のように前向きにパートナーシップに臨めないのが素直な気持ちです」

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「ぼく自身がそんなに立派な人間じゃないし、割とぐちゃぐちゃだからこそ、真摯に人の話を聴けるのかなって思います」

 理屈では解けない痛みがあることを彼は知っている。だからこそ患者やその家族の困りごとに真剣に耳を傾け、親身になって看護やリハビリの提案ができる。

「家族のステレオタイプな枠組みでは割り切れない介護の現実を直視して、その人に〝ちょうどいい状態〟をつくる手助けをしたいんです」

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「仕事で接する患者さんやご家族のなかには、『家族だから私がやらなくては』と、無理をして苦しくなってしまう方がたくさんいます。コミュニティカフェ『フラットスタンド』ではお客さんから、『夫婦なのにあれができてない』『恋人のはずなのにこれをしてくれない』という悩みや相談事をよく耳にします。人は関係の枠組みにとらわれるからこそ、苦しくなるのではないでしょうか。僕は日頃から、その枠組みの縛りを緩めて、みんなが自分らしく暮らせればいいのにと思っているんです」

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「僕は密な関係でお互いを縛るより、皆がワイワイと楽しそうにしている場を、ちょっと離れたところから眺めるのが好きなんです。『ひとり暮らし』をしながら、必要なときにだけ誰かとつながる。それが自分には合っている。だから、関係性を維持するために嘘をつかなくてもいい、誰かが抱え込まなくてもいい、風通しのよい人間関係があってほしい。そんな思いで場づくりをしているのかもしれません」