このお話も印象に残りました。
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熊本市の益城町に住む佐々木君代さん。八十四歳。二〇一六年四月の熊本地震で、四十五年住んだ自宅が崩壊し、ひとりで自力脱出した。体育館に避難したが、「家族はグループ、自分はつねにひとり。ご飯を取りに行くのもひとり。家族は交代。それがつらかった」という。「自分を失くしそう。モノをもらうのに」「みじめでたまらんかった」「これからは私の力量で生きてみせる」と、一ヵ月で避難所を出た。
それからは自宅の敷地にテントを張り、ひとりで暮らした。見合い結婚をした夫は二十一年前に他界した。やさしかったが賭け事好き。自分のスーツはわざわざ大阪まで作りに行ったのに、わたしに買ってきたものは、二五〇〇円のキュロットスカートだった、と笑う。「恨めしい男」だ。子どもはいない。
武家の出の祖母からは常々「自分というものを守れ」といわれて育った。その生き方が沁みついているのか君代さんは、小気味がいいほどさっぱりしている。むろん涙も浮かべ、パートナーのいない人生だともいう。しかし、うじうじはしない。「(地震を)恨んでもしかたない。生きとりゃこういうこともあっけんねえ。戦争でやられとっけん」「泣いても泣いても戻ってこんしねえ。子もおらんし」
テントから仮設住宅に移る。高齢者女性たちが集まって歌ったりする集会に参加する。君代さんは、しかたなさそうな笑みを浮かべている。その後、集会に参加することもやめた。「誰とも話したくなかった。行きたくないんです。だから行かんとです。みんな行ってるけど、味気なくて」とテレビスタッフにいう。気丈なのだ。
思いきって家を建てることにした。一千万円をはたいた。あとはすっからかん。そのとき、彼女はこういったのである。「ねえ、みんなは家を建てるなというけど、私は私を全うしたいんです。生きる限りやってみる。生きた証」。「家は宝物じゃない。居場所。わたしには誰もおらん。家臣もおらんし。ひとりで守らなん」(フジテレビ「FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品 私は私を全うする―佐々木ばあちゃんの熊本地震」二〇一七・十・五)
自分の人生をまっとうする、ということなら、だれでもいえる。ありふれていて、わたしがそのありふれた口である。しかし、「私は私を全うしたいんです」には驚いた。こんなことをいうおばあさんが、この日本にいるのか、と虚を突かれた。すごいことをいう人がいるものだ。「家臣もおらんし」というのが、またいい。
もちろん、自分の人生をまっとうすることができれば、それで十分だ、とわたしは考えている。成功しなくても、有名人にならなくても、金持ちにならなくても、あるいは「しあわせ」な家庭がなくても、自分の人生を最後までまっとうすることができれば、いうことはないではないか。
「人生をまっとうする」も「自分をまっとうする」も、おなじようなものではないか、といえばいえる。そんな細かいことにこだわって、なにがどうなる?ということもわからないではない。わたしもめんどうなことは嫌いだが、どうしても気になる。「人生をまっとうする」は、どんな人生であれ、それを自分で受け止めるという、ある種の覚悟があるが、「自分をまっとうする」には、自分の考え方や生き方という主体的意志を可能な限り貫きたいという強さがあるように思われるのだ。
佐々木のおばあさんの言葉は、わたしの手本である。言葉だけでなく、「ひとり」をまっとうしようとする意志は尋常ではない。