読んだことで、世界が広がった感じがしました。
P31
ラクダの荷を下ろし終わると、彼女は礼拝を始めた。
周囲には目印などなさそうだが、ちゃんとメッカの方向がわかるらしい。
次第に辺りが夕闇に包まれ、ポツポツと空に星が姿を見せ始めた。
昼食の残りのパンと紅茶で夕食をすませると、サイーダはじかに砂の上に横になった。
「砂漠の砂はきれいさ。自然はすべてアッラー(神)がつくった物だから」
以前はテントを使っていたが、移動に不便なため、やめてしまったそうだ。「寝る時、星が見えないのがイヤ」だという。
P36
夫のダハラッラーは5年前に足を痛めて歩けなくなり、長男夫婦と定住地に暮らしている。長男以外の8人の子どもたちも、砂漠でガナム(ヤギとヒツジの総称)の世話をする末息子のサイードをのぞいて、すべて定住地やハルガダに住んでいる。皆彼女にいっしょに暮らそうと誘うが、がんとして応じない。
「砂漠じゃ自分一人だから、どこに行って何をしようと、自由さ。でも町には人や車がいっぱいで、自由に歩き回れない。排ガスやゴミがあふれて汚いし」
「でも一人で怖くないの?」
「町の方が怖いさ。町には泥棒がたくさんいる」
・・・
「町じゃ、飛んでいる鳥を眺めることもできないし、道端に生えている草の匂いをかいで楽しむこともできない。砂漠の水はきれいでおいしい。町の水は薬が入ってて、飲めたもんじゃない」
砂漠で怖いのはサソリとハナシュだけだそうだ。
「それに砂漠は、雨が降れば一面緑にあふれて、それはそれは美しいんだ」
生まれてから一度も家で暮らしたことがない。
「1ヶ所にじっとしてるなんてイヤ。いつも動物といっしょに動いていたい。小さい頃からずっとそうやって暮らしてきたもの。足が弱ってきたら、ラクダを売って定住地でもどこにでも行く。でも、それまではずっと砂漠で暮らすんだ」
P41
「砂漠じゃ食べ物は少ないけど、たくさん食べてブクブク太るよりマシさ。肉はたまに食べるから、すごくおいしい。豆やモロヘイヤだって、食べるのは月に1回くらい。だからよけいおいしく感じる。毎日食べてたら、もういいやってなる。それに町には冷蔵庫があるから、何日もたった物を食べるけど、砂漠じゃ、料理したらすぐ食べるから新鮮さ」
と強く言い切る。まさに、自分の生き方に強い誇りを持っている。
それはきっと、大地にしっかり根ざして生きる中で、彼女の内から生まれてきた信念なのだろう。・・・
話がとぎれると、横になる。
夜空を埋めつくす星々を眺め、時々空を横切る流れ星を数えているうちに、まぶたが重くなってくる。
何百年と変わらない暮らし―食べる物が多少変わり、ラジオなどを持つようになりと、物質的に少しは変化したかもしれない。しかし自然に抱かれて暮らす生活スタイルは、昔からほとんど変わらないものだろう。
そして確実に、今姿を消しつつある暮らしに違いない。
「それにしても、よく何日もシャワーを浴びずに平気だね」
私を迎えに来た族長の長男ムライ(44才)は、私の顔をまじまじと見ながら、あきれ顔で言った。
サンダルばきの私の足は、わずか5日間のうちに日焼けの跡がくっきりとついている。
ムライは、ランドクルーザーの中から、クーラーボックスで冷やしたコカ・コーラを取り出し、私に手渡した。きーんと冷えた液体が、かわききった喉をうるおしていく。
私はこの日で滞在が終わってしまうのが、残念でならなかった。
砂漠に来るまで、遊牧の暮らしは過酷でつらいものと想像していた。しかし意外とそうでもない。むしろ楽しいくらいだ。
朝はさわやかな空気の中でパンを食べる。移動は歩き続けるわけでなく、疲れたらラクダに乗り、飽きたらまた歩く。暑い時は木陰で休み、のんびり空を見ながらお茶をすする。太陽が昇ったら起き、暗くなったら眠る。誰に指示されることもない。自然の営みとともに生きる暮らしは心地よい。
明るい月の光、降って来るような無数の星、真っ赤な炎、広々とした視界、青く澄みきった空……どれをとっても、町にない物ばかりだ。
しかし、そんなことを考えている私は、まだまだ甘かったのだが……。
P115
サイーダの長男サーレムの妻ライヤ(45才)は、定住地ウンム・ダルファで観光客のためにパンを焼く仕事をしている。・・・
・・・
ライヤには6人の子どもがいる。子どもが2人だけだった頃までは、砂漠で暮らしていた。
「あの頃は、毎日朝から日が暮れるまで歩き回っていたわ。とても楽しかった。ずっと1ヶ所にいるのは、好きじゃない。9年前に最後の雨が降った。当たり一面緑におおわれて、すごくきれいだった。草の匂いを楽しんだわ。そんな時はラクダになんか乗らない。自分の足で歩いて草を踏みしめるの。砂漠には騒音なんてない。いつも一人で寝て、好きな時にゴルスをつくって、食べて、寝て……心が穏やかだった。何の問題もなかったわ」
・・・
「母さんが強いのは、神さまのおかげよ」
サイーダの娘ウンム・ハナンも同じ定住地に暮らしている。くりっとした目元がサイーダそっくりな、快活な女性だ。
「母さんと暮らしていた時も、いつも一人でガナムやラクダをつれて放牧していたわ。砂漠は美しい匂いがあふれている。草とか木とか花とか……」
結婚した当初は砂漠で暮らしていた。夫は薬草などを集めて町で売り、ウンム・ハナンは一人でラクダの放牧に出かけた。やがて夫が定住地で働くようになり、彼女も移り住んだ。
「砂漠にいた時は、1日がとても早くすぎたわ。ここではいつもじっとしているから、時々腕や背中が痛くなる。砂漠では今よりずっと健康だった。2,3時間歩いても疲れなかった。でも今はほんの少し歩いただけで疲れちゃう。砂漠では鼻水や咳もなかった。ああいうのは町のものよ。ここでは毎日町から人が来るから、病気もいっしょにやって来るの」
・・・
定住地で働く20代の男性は言った。
「儲かっても、今みたいに誰かの指示で働かされるのはイヤだ。昔の遊牧生活は体力的にはきつくて収入も少なかったけど、自由に働けるからよかった」
他の男性も言う。
「昔は、仕事は今より大変だったけど、みんな助け合った。今はみんな自分のことしか考えちゃいない。人のつながりは弱くなってしまった。定住地の仕事が原因さ」
・・・
・・・初老の男性は昔の遊牧生活を懐かしむ。
「どこかに雨が降ったら、2ヶ月とか3ヶ月間そこで暮らし、別の所に降れば、そこへ行った。あの頃は自由があった。生活は今よりずっと快適だった。今は1ヶ所にいるだけ。体は疲れないが心が疲れる」
ある女性の言葉は、彼らが置かれた状況を最もよく表しているだろう。
「今は1つの場所にたくさんの人が集まっているから、問題が起こる。ずっと昔から、私たちは離れて暮らしてきた。でも心は近かった。今は近くに暮らしてても心は遠い。昔は女も一人で放牧して、一人で料理して食べ、一人で砂漠に寝て、一人で死んでいった。そして心はいつも穏やかだった」