過酷に見える人生を送りながらも、こんなふうに笑ったり、感謝したりできるんだと感動しました。
P28
「サッカー・グラニーズに加わってから、ストレスがなくなったのよ」というのは南アフリカの人気サッカー選手にちなんだニックネーム、ブライアン・マテで呼ばれるおばあちゃんだ。
「悩みごとがあっても、グラウンドに着いたとたんにすっかり忘れちゃう。みんなと会ったら、冗談をいって笑い合っているからね。サッカーが好きになってほんとによかった。バケイグラ・バケイグラが私を立て直してくれた。そのことに感謝している。チームに入る前はストレスを抱えてため息ばかりだったけれど、いまでは元気いっぱいですよ」
そこで満足して終わらないのがベカのすごいところだ。高齢女性たちの心身両面での健康が改善されたところで、彼女は地元の医師に定期検診を依頼し、必要とあれば専門医を紹介してもらう道筋をつけた。サッカー・グラニーたちを病院で診察していた医師は、サッカーを始めてからわずか数ヵ月で、女性たちの健康がめざましく改善したことに目を見張った。
P37
やらなくてはならないことがたえずまわりにあることが、ベカを奮い立たせる。癌の再発と闘いながらも、内側から湧いてくる力に突き動かされる。
「化学療法はきつい。化学療法のせいで問題がいろいろ起こる。私は何回も手術を受けてきました。みんな私にいうんですよ。あなた、そんなことしてると死んじゃうよってね。でも、ほら、まだ生きている」
一番病状が悪化したときから比べると、現在は体重も増えているし、化学療法を受けたあとに失った髪もまた生えている。もうかつらはかぶらないし、車椅子に乗らなくても大丈夫だ。「あの癌という怖ろしい怪物との闘いからどうやって生き延びたのかわからない。本当に辛かった。あんな苦しみを誰にも味わってほしくない。まだ痛みはあるけれど、私は生きていて、ボールを蹴っている」
P168
ベカのほうを振り向いて「どういう歌なの?」と聞いた。「グラニーたちがバッグを抱えて、アメリカにやってきた、という歌詞よ」とベカが教えた。そうか、起こった出来事を歌にしているのだ。バスに乗ってピッチにきて、初めてのチームと対戦して、でも負けてしまったよ、という今日起こったことを歌っている。つぎの歌をベカが訳してくれた。
私たちはおばあちゃんさ
私たちには敵はいない
私たちが闘う相手は病気だけ
私たちはサッカーをして、得点を決めた
そしていま、私たちは心も軽く走っている
それを聞いて私は喉が締めつけられ、ポケットからティッシュを出して目尻の涙をぬぐった。
・・・
マサチューセッツ州成人サッカー協会が用意したランチは、アメリカ流のジューシーなビーフをはさんだハンバーガーにポテトチップを添えたものだった。おしゃべりと笑い声がにぎやかに響きわたるなか、グラニーのひとりがブブセラを取り上げて力いっぱい吹き鳴らした。するとひき肉の塊がホーンから飛び出し、テントの向こうまで飛んでいった。その様子にグラニーたちは大笑いだった。ベアトリスは笑いすぎて涙をぬぐっていた。「みんなとは長いつきあいなんだけど、こんなに楽しそうに笑っている姿を見るのははじめてなの」。その言葉を聞いて、私はまたポケットからティッシュを取り出した。
P204
ベテランズ・カップで出場する試合が終了し、グラニーたちは帰国前の数日をリラックスして観光を楽しんでいる。それが終わればグラニーたちは南アフリカに帰国し、私は忙しい日常に戻る。
・・・
浜辺にピクニックシートを広げ、鶏の串焼きと炊き込みご飯のランチを楽しんだ。私はベカの隣に座った。「私たちにとってローラーコースターに乗っているみたいな数ヵ月だったわ」と私は手を波を描くように上下させていった。「ビザが取れるかどうかハラハラし、飛行機の割安チケットがとれないといわれて落ち込んだ。でも最後に何もかもうまくいった。スポンサーが出してくれた金額とほぼ同額で経費が収まったとわかったとき、信じられない思いだった。これって奇跡よ!」。私は目を大きく見開き、ベカの方を見た。「そうよ、奇跡よ。たいへんなときには、抱いた夢をけっして忘れないようにする必要がある。困難にぶつかったときは、あなたの耐える力が試されていると思わなくちゃ」。ベカは自分に言い聞かせるようにいった。「国に帰るときっと歓迎されるでしょう。晩餐会とか準備されているはずだけれど、私は出席しない。グラニーたちは出たらいいけれど、私は出ない」。声に苦々しさがにじんだ。「あの人たちは私を裏切った」。あの人たちとは、航空運賃を支払うといったん約束しながら、それを反故にした政府の高官たちだろう。「結局、私はあの国に酷い目にあわされた。あんなにたくさんの賞をもらってきた私をね」
私の心はベカを思って重く沈んだ。ひたすら与え続けてきたのに、それが報われていない。「私はベストを尽くしている」。疲れた声でベカがいった。「これまで大統領は私たちのことを誇りにしてきたというのに、最後の最後に私をがっかりさせた。私は怒っている。すごく怒っている」
なんといったらいいのかわからなかった。ベカに対する扱いはあまりに酷すぎると私も憤りを感じる。なぜベカがトロフィーを南アフリカに持ち帰りたいといったかがよくわかる。トロフィーは、政府の援助なしに自分たちはすばらしいことを成し遂げたという証なのだ。
「国に帰るのはうれしいけれど、ビザ取得を助けてくれた人にお金を払わなくてはならない。私が気がかりでならないのは、そのお金をどう工面しようかということ。それと空港からグラニーたちをそれぞれの住む村まで送り届ける費用のことも悩んでいる。到着は深夜になるし、空港周辺は犯罪多発地域。アメリカから帰ってきたと知ったら、スーツケースには金目のものがあるにちがいないと思われる」。ベカの顔が不安でゆがんだ。・・・
グラニーたちはほがらかにおしゃべりし、ランチを楽しんでいる。大声で笑っているグループもある。ベカの挑戦がどれほどたいへんなことなのかを私はわかっていなかった。いまではたいせつに思うようになったこの人たちを、危険にさらすわけにはいかない。・・・
「わかった、ベカ」と私は決意をこめていった。「みんなを安全に家まで送り届けるためにいくら必要?タクシーを使えば安全?タクシー代はいくらくらいかかる?」私はベカと計画を練った。・・・グラニーたちの出発前にタクシー代を全額集めるのは無理だとわかっていたが、旅行会社の南アフリカ・パートナーズは私たちに寄付を申し出てくれていたから、その寄付金をあてるのは可能なはずだ。・・・まとまった金額を寄付してくれた人たちに連絡をとって、もう少し寄付をしてもらえないかと頼んでみよう。私たちもグラニーたちに何かがあったときのためにといくらか予備費をとっていた。それもあてることにしよう。
・・・
アメリカの海岸で日光浴をしながら、穏やかにほほえむグラニーたちを見ながら、私は強く願った。なんとしてもグラニーたちを安全に家まで送り届けたい。ここまでやれば安心と思えるまで、あらゆる手段をとろう、と。