僕はお金持ちの付き人

僕はお金持ちの付き人

 人の見方や考え方や、多方面に面白かったです。

 

P177

 ホテルでボスに叱られたこともあります。

 ・・・

 ・・・ボスが渋い顔をしているのです。なにかミスをしてしまったか、と思いながらも、部屋にボスを案内しました。

「付き人は奴隷やないぞ」

 ボスは部屋の豪勢なソファに座らずに立ったままで、僕に声をかけたのです。

 ボスの表情は硬くなっていました。

「はい」

 なにを指摘されているのかわからないままに、僕は返事をしておびえていました。

「友樹がホテルのチェックインしてから、部屋に向かうときの態度が気になってたんや」

「はい」

「お前、ビビってんのか?ホテルが立派すぎて」

 僕は答えに窮しました。

「チェックインしてるときも、それから部屋に向かうときも、お前、なんであんなにヘコヘコしてるんや。みっともない」

 確かに僕にとって、超高級ホテルは不相応な場所だと思っていました。〝付き人〟として素晴らしい部屋をボスにあてがってもらっても、それはあくまで〝お付きの者〟としての宿泊だ、という認識でした。実際に僕は一円も支払っていません。

 だから自然と僕は卑屈な態度になっていたのかもしれません。

「お前がヘコヘコしてるってのは、俺の価値を下げることなんやぞ」

「はあ……」

「俺がストレスを感じないように身の回りのことしてくれっていうのは、わかってるよな?」

「はい」

「それは仕事や。でも、お前が堂々と〝普通〟にしていられないように、俺が押さえ付けてるか?俺と並んで歩くな、三歩下がって揉み手しながらついてこいって言ったか?」

「いいえ」

「俺の許可があるまで口を開くな、なんてことも言わんよな?お前は俺に冗談も言うよな?」

「はい」

「じゃ、なんであんなにホテルでビクビクしてるんや?誰に対してビクビクしてるんや?」

「……そんなつもりはなかったんですが、僕には不相応な高級ホテルって思いがあって、それが態度に出てしまっているかもしれません」

「お前のその態度を目にした人が、それを俺の人間性の表れと見るってことや。つまりお前の振る舞いで俺が安く見られる。『佐々井の付き人は高級ホテルにビビってる』。あるいは『付き人がいつもビクビクするほどに佐々井に締めつけられてる』と思われる」

 ボスの表情が少し和らぎました。

「締めつけてるか?」

 僕は激しく首を横に振りました。ボスに叱られることは色々あります。でも締めつけられたり不自由な思いをしたことはありませんでした。

「傲慢になれと言うてるわけやないぞ。謙虚さはいつでも必要や。だけど謙虚と卑屈はまるで違う。場所にビビるな。どこでも堂々としていろ。そして謙虚であれ、いうことや」

 いまだに〝場違いな場所〟に行くと気後れしそうになる自分がいますが、いつもこのボスの言葉を思い出すようにしています。

 

P291

 いつも思っていることですが、ボスはタフです。筋トレなんかはしないので、細身ですが、肉体的にもタフです。なにより精神的にタフなのです。

 いつも頭はフル回転している人です。ぼんやりしているように見えても、その目を見れば「ON状態だな」とわかります。

 その精神力で、眠気も痛みも疲れも、ねじ伏せてしまうことができる人です。

 僕は付き人になってから、ボスのスイッチがOFFになった状態を見たことがありません。

 ボスは素潜りが大好きで、得意です。

 僕も好きなので、一緒に潜ったりしますが、ボスは僕の倍以上も長く潜り続けられるのです。

 ダイビングには欠かせない〝耳抜き〟をしなくても、平気で深くまで潜っていけるという特別な体質でもあります。

 しかし、ボス曰く、「長く潜るコツは、なにも考えないこと」だそうです。

 水の中では呼吸ができない。それは当たり前のことなのですが、水中にいるとそれを嫌でも考えてしまいます。その結果、恐怖を感じてパニックになって、心拍数が上がり、無駄に酸素を使ってしまう。恐怖を考えないように心を解き放っていれば、パニックにならず長く潜れる、とボスは言うのです。

 

P308

 僕は、あいりん地区に数ある屋台の弁当屋の前に立ちました。

「お弁当、これ全部ください」

 手に入れたお弁当は、ざっと三〇個ほどでした。

 僕はお弁当をホームレスの人たちに、配りはじめました。

「これ、食べてください」

 椅子から立ち上がれないような老人に手渡すと、「ありがとう」と老人は、僕を拝むようにしてくれたのです。

 手渡すときには笑顔で、その両手を包むようにして渡しました。

 僕が配りはじめると、弁当を求めて集まってくる人たちがいました。

 ホームレスの人たちはいろいろでした。笑顔で「ありがとう」と感謝してくれる人もいますが、ろれつが回らずに、なにか聞き取れない言葉を発する人もいます。それはたぶん感謝の言葉でした。

 でも中には、弁当を渡そうとしても、まったく表情がなく反応しない人もいます。むしろ迷惑そうな顔をしている人もいるのです。

 でも、その気持ちも、僕はわかるような気がしました。

〝施される〟ことは決して嬉しい気持ちばかりではないのだと思います。不愉快だったり、卑屈になったりする気持ちも湧くのだと思います。まして渡す側が尊大な態度だったりしたら、いっそう嫌な気持ちになるでしょう。

 僕はその尊大な態度の〝渡す側〟の延長線上にいたのです。

 アフリカのスラムでも同じようなことがありました。

 物凄く不愉快そうな顔をしている人が、弁当を配る列に並んでいることがあるのです。その目には敵意さえ宿っていることがあります。

 そんなとき、ボスはその人に申し訳なさそうな顔をして、弁当を手渡していたのです。僕はその姿を見て「弁当もらってるくせに、なんてヤツだ」と怒りを覚えていました。

 しかし、今気づきました。相手の気持ちになって〝感じなければならない〟ということを。

 僕はそんな人には、無理に声をかけたりせずに、そっと弁当をそばに置いていました。そして一礼します。

 するとその老人は小さくうなずいてくれました。会釈を返してくれたのか、それとも「わかった」と受け入れてくれたのか、わかりません。でも、その弁当を手にしてくれたのです。

 アフリカのスラムで僕は、相手の反応を見ていなかった。ただ笑顔を貼り付けて配っていただけでした。

 そして相手の顔を見ていても、その表情までは見ていなかった。感じていなかった。考えていなかった。

 ボスが言っていた言葉です。

「アフリカではスラム出身者は、人間として扱われない」

 僕も目の前にいる人に笑顔をむけながらも、人間だ、と思っていなかったのではないか?

 だからボスがスラムの人々を救うことに注力することに〝抵抗〟を感じていたのではないか?

 スラムの人たちの救済は後回しでいい、と思っていた……。

 目の前にいる困窮して飢えている人に「今忙しいから、後でね」って言い放ったも同じことだ。

 ボスは違った。スラムの人も、それ以外のアフリカの人も同時に救おうとしているのだ。

 なぜなら、目の前に困っている人々がいるのだから。