DJ・HAGGYさんのこれまでの人生、大変なエピソードがたくさんあるのに、とても温かい気持ちになる本でした。
P76
父親が亡くなり、本当の母親ではないとわかった熱海の母と、これからどうしようという話になった。血が繋がっていなくても、僕は熱海の母のことを本当の母親のように思っていたので、マンションに母を一人で置いておくわけにもいかず、しばらくは一緒に暮らしていた。でも、いつまでも一緒にいるわけにはいかない。
高校を辞めて働くか、施設に入って定時制高校へ行くか、僕は迷った。・・・
そして十一月、父親の四十九日の法要と、修学旅行の日にちがぶつかった。僕は喪主だから、自分で働いて積み立てていた代金がもったいなかったけれど、修学旅行は諦めようと思った。
そんなとき、父親の一番下の弟、辻堂の叔父から電話がかかってきた。その頃叔父は小田原にある神奈川県の合同庁舎に勤務していて、僕が高校へ行くバスの中から、叔父の勤務地は見えていた。
「オマエ、明日、学校終わったら来い、メシでも食おう」
僕は翌日、叔父と二人でごはんを食べた。
「オマエな、高校、あと一年半なんだから、やめるなんて考えずにオレんとこ来い。オレんとこから通え。オレの家、県職員アパートで狭いけど、とにかく来い」
叔父は唐突にそう言った。僕は叔父の三人の子どもたちのことが大好きだったから、その瞬間、彼らの顔が頭に浮かんだ。
「三人とも楽しみに待ってるから」
「それからな、四十九日はいいから、修学旅行に行ってこい。せっかく積み立てたんだから」
「修学旅行から帰ってきたら、オレが熱海に迎えに行くから」
僕は涙を堪えるのに必死で、叔父の言葉に返事をすることができなかった。
十一月の上旬、僕は山陰・山陽地方への修学旅行へ行った。
辻堂の従弟妹たちにお土産をたくさん買った。修学旅行から帰ってくると、叔父は約束どおり迎えに来てくれた。借りた軽トラに僕の少ない荷物を積み込んで、僕たちは熱海を出発した。
見送ってくれた熱海の母は、いつの間にかもうすっかりお酒を飲まなくなっていて、人が変わったようにずっと優しかったから、別れるのは切なかった。熱海の母も、北海道の祖母も、大阪の叔父も、血の繋がっていない僕にとてもよくしてくれた。僕はとても恵まれていたのだ。
辻堂の叔父の家に着くと、叔母や、三人の従弟妹たちが玄関で待っていてくれて、「おかえり」と言ってくれた。
「ヒロちゃんね、今日からね、私たちは兄妹だから」
一番下の、五歳のメグミが言った。
「私たちのパパとママが、ヒロちゃんのパパとママだからね」
メグミは、必死で僕に言った。
僕は多分、満面の笑みを浮かべていたと思う。僕は生まれて初めて、生きていて良かったなあと思っていた。
・・・
小学校五年生だったサクラは、よく僕のことをじーっと見ていた。僕が幸せに過ごせているか、常に気にしてくれていた。
ある日、僕とサクラは、二人でベランダから夕陽を見ながら他愛もない話をしていた。僕は夕陽を浴びながら、遠くの道路に視線を移した。
「あ、バスが通った。オレ、いつもあのバスに乗ってんだよな」
「そうだよね」
「あれかな」
「その次のバスかも」
二人でのんびりベランダにいたら、叔母の呼ぶ声がした。
「ごはんだよー、二人で何やってんの、早く入んなさいよー」
僕はそのとき、信じられないくらいの幸せを感じた。これだ、僕が欲しかったのはこんな幸せだったんだ。
「あー、幸せだあ」
僕は声に出したかもしれない。出さなかったかもしれない。だけどサクラが、優しい目をして僕を見ていたのを覚えている。
小学校三年生だったミノルは、僕が遠慮してご飯のお代わりをしないことをちゃんとわかっていて、自分がお代わりをするときに、僕の空っぽのお茶碗を無言で一緒に持っていき、自分の分と一緒に、お茶碗に山盛りにご飯をよそってくれた。
叔父や叔母、そして三人の従弟妹たちには感謝してもしきれない。だから僕は、アルバイト料が入るときには、三人に集合をかけた。
「明日バイト料入るから、五時に集合な」
そうすると夕方、三人が自転車に乗って待っている。
「さあ行くぞー!」
そう言って四人で鵠沼海岸の商店街へ繰りだす。
「何でも買っていいぞー!」
そう言うと、三人は本屋からおもちゃ屋までぐるぐる回る。
上の二人は気を遣ってそこそこの値段のものを持ってくるが、一番下の幼稚園児のメグミは、何もわからずに高いものを持ってくる。だけど僕は全部買った。僕にできるのはそのくらいで、恩返しをするには全然足りないと思っていた。
・・・
叔母は、たまにメグミのお弁当と一緒に、僕と叔父の分も作ってくれた。これまでの人生であまりお弁当に縁のなかった僕はすごく嬉しかった。食卓に三つ、お弁当が同じ袋に入って並んでいるのを見ると、僕の胸は高鳴った。中学生の頃、お昼にアンパン一個食べるだけが昼食だった僕からすると夢のようだった。
「今日はお弁当作ったから持っていってね」
朝からみんながバタバタしていた日、僕は一番手前のお弁当を取り、叔父が次のお弁当を取り、二人で急いで車に乗り、小田原まで一緒に行った。
「今日のお弁当はなんか軽いなあ、サンドイッチかなあ」
お昼になって、僕は楽しみにお弁当袋を開けると、キティちゃんのかわいらしいお弁当箱が出てきた。
(あ、メグミのを持ってきちゃった!)
僕の席は、廊下側の一番後ろの席だったから、通りかかる同級生たちにキティちゃんが見つかって、「ハギちゃん、それ何?」と覗き込まれる。
「やっべ、従妹のを持ってきちゃったよ」
僕はみんなに言った。恥ずかしさより、おかしくて嬉しい気持ちが勝っていた。間違って持ってきたことすらみんなに自慢したかった。ちっちゃなお弁当だけでは全くお腹いっぱいにならず、午後の授業ではお腹がぐうぐう鳴っていたが、それさえなんだか幸せだった。
はて、僕の弁当はどこへ行ったんだろう。そう思いながら家に帰ると、メグミが幼稚園から泣いて帰ってきたという。
「お母さん、いっぱい残しちゃってごめん」
メグミはお弁当を間違えられたことより、それを残してしまったことが申し訳なくて泣いていたのだ。なんていい子なんだろう。
「メグミのお弁当は誰のところに行ったのかしら」
「オレんとこです」
僕は叔母と大笑いした。僕は、ああ、これが家庭というものなんだと、笑いながら嬉しくて、途中から泣きそうになった。
僕の幸せの記憶は、辻堂の叔父の家にいた一年半の間にしっかりと積み重なった。毎日の他愛もない会話、おかえりと言ってくれる人のいる有り難さ、辻堂での日々は、僕が生きていくための基盤となった。
叔父や叔母、そして僕に自分たちの部屋を明け渡してくれた従弟妹たちには、どんなに感謝をしても感謝しきれない。