村田沙耶香さんのエッセイ集、ユニークだなーと興味深く読みました。
P70
・・・小学生の頃、洋服箪笥の裏側に秘密の階段を発見する夢を見たことがあった。跳び起きた私は箪笥へ駆け寄ったが、実際にそれを動かして階段があるか確認することはなかった。それからずっと、その箪笥の裏側は、「ひょっとしたら秘密の階段があるかもしれない場所」だった。
家を改装することになった時、もう大学を卒業してすっかり大人になっていた私は、業者の人に洋服箪笥が持ち上げられるのをじっと見つめていた。その裏に只の白い壁が現れた瞬間、自分の脳がその光景を処理できず、視界が歪むのを感じた。脳はいつもそこに階段の存在を感じてきたから、そこに壁があるのを認識できなかったのだ。夢で見た薄暗い階段と現実の白い壁が交互に点滅し、頭がくらくらしたが、それは奇妙な快感だった。
私は、自分の脳を騙すのが好きなのだと思う。上手く騙すとないものをあると認識して、謎の道の向こうに未知の光景を勝手に作りあげたりする。さんざん脳に嘘の景色を見せたあと、一気にそれを崩壊させるのだ。自分の脳と頭脳ゲームをして勝つも負けるもないと思うのだが、その時脳が拒否反応を示している感覚が楽しくてつい企んでしまう。脳の認知は不確かなものだということを、肉体感覚と共に確認できるのがうれしいのかもしれない。次はどんな光景を脳に見せようか、時間をかけて、ゆっくり罠にかけようと思っている。
P72
私は、大学を卒業して一年くらい経つまで、コンソメスープをコソソメスープだと思っていた。片仮名だとわかり辛いと思うが、「こそそめ」だと思っていたのだ。
なぜ大人になるまで間違いに気付かなかったのかと思うかもしれないが、私は現実を改ざんしてまで、ずっとそれを信じ続けていた。皆が、そのスープを「こんそめ」と呼んでいることには気付いていた。けれど、私は自分の頭の中を修正しなかった。皆が「こんそめ」という言葉を口にする時、彼らが飲んだり手にしたりしていたのは缶やレトルトのコンソメスープだった。私は、皆はそのせいであえて「こんそめ」という間違った呼び名で呼んでいるのだろう、と勝手に解釈した。そこから、レストランで本当のシェフが作った本物のそのスープだけが「こそそめ」という正式名称で呼ばれる権利があるのだろう、と勝手な思い込みは発達していった。
・・・
大学を出て一年ほどして、私はファミレスでバイトを始めた。そのファミレスはチェーンにしては本格的な料理を出すことが売りな店だった。ある朝、私は一人の常連のおじさんにコンソメスープを運んでいた。料理に自信がある店だけあって、それは本格的で美味しそうだった。私は(ちょっと手前味噌かなあ)と思いながら、「お待たせしました。こそそめスープでございます」と、そのスープをうやうやしくおじさんのテーブルに置いた。
いつも無口で憮然としているそのおじさんは私のセリフを聞いてびくっ!と肩を震わせ、物凄い勢いで顔をあげ、私の顔を凝視した。おじさんの激しいリアクションを見て、(ああ、やっぱりファミレスのスープが「こそそめ」を名乗るなんて、ちょっと図に乗りすぎていたんだ)と思った。しかしその時頭の隅で、(ひょっとしたら、こそそめスープというものは、この世に存在しないのではないか)という考えが閃いた。
そんな訳ないと思いつつ何となく引っ掛かった私は、バイトを終えると友達にこそそめスープについてメールしてみた。「ばかー!意味がわからないよ!」という返信を見て、私はこの世にこそそめスープが存在しないことを知った。
その日からしばらくは可笑しくてしょうがなくて、その話を家族や友達に話して大笑いして過ごした。だが、それからいくら日が経っても自分の中から「こそそめスープ」という存在が完全に消滅することはなかった。理屈では自分の勘違いだとわかっていても、安いチェーンのお店でカップに入ったコンソメスープが出れば、(これはこそそめとは到底呼べないな、こんそめだな)と思ったり、ちゃんとしたレストランでメニューにコンソメスープの文字を見つければ、(これはこそそめに違いない)と思ったりした。
・・・
私のようなバカなケースでなくとも、人は皆、自分の作り上げた思い込みの世界で暮らしているところがあるのではないだろうか。ある道を歩いていても、一人はそこが新宿方面に繋がっていると言って疑わず、もう一人はこの先は公園になって行き止まりになっていると主張する。たとえ現実にはその道は二年前に工事されて渋谷方面に繋がるようになっていたとしても、二人は違う現実の中を歩いている。
そんな風に考えると、今、同じ場所を歩いている隣の人も、その隣の人も、自分の作り上げた異世界で暮らしているんだと思えてくる。同じ場所を歩いていても、脳が違う限り、私たちは違う光景の中にいるのだ。
私には、それが凄く楽しいことに思える。それぞれの世界を行き来できたらもっと楽しいのになあと思う。隣の人の住む世界に遊びに行き、その脳の持っている情報の中で日常を過ごす。それは私の住む世界とはまったく違う異世界だろう。こんなにそばに異世界への扉が無数にあるというわけだ。そのドアを、ぜひ開けてみたい。
そしていつか、私の住む世界にも遊びに来て欲しいと思う。その時は、ぜひ、一緒にこそそめスープが飲みたい。私の住む異世界に遊びに来てくれた人と一緒に、生まれて初めての本物のこそそめスープを味わえたら、とてもうれしい。
P99
どうも笑っているらしい、と気が付いたのは、iPodを聴きながら近所を歩いていて、編集者の女性に声をかけられた時のことだった。
「村田さん、笑いながら歩いていたので、声をかけようかどうしようか迷ったのですが……」
とても恥ずかしかったが、「音楽を観ながら歩いていたので……」と正直に白状した。
私は歩く時、音楽を聴くのではなく、どちらかというと観ている。音楽から浮かんでくる映像を観るのが好きなのだ。女の子がただ水の中を漂っているような単純なものもあれば、血の代わりに花びらを流している人間をずっと観ていたりと、映像がどこからやってくるのかはよくわからない。歌詞ともさほどリンクしていない。頭の中の出来事なので、周りから見られてもわからないだろうと、自由に映像を再生していた。
だが、笑っているらしいのだ。しかも、どうやら目撃して声をかけてくれる人は稀で、「あ、村田さんだ……でも笑っている……」と話しかけるのをやめてそのまま見送ってしまう人の方が多いようなのだ。
後日、そっと、「お見かけしたのですが、宙を見て笑っていたので声をかけにくくて……」と申し訳なさそうに言われると走って逃げたくなる。しかしこれは習性なので、直すのは難しい。せめてマスクをつけて、口元を隠しながらゆらゆら歩く日々である。
