ヤマザキマリさんとニコルさんの対話・・・これだけマニアックな話が通じ合うのって、すごいと思いました。
P131
ニコル 私もヤマザキさんも、若い頃に事故で死にかけて、開き直って自分のやりたいことをやってきたと思うのですが、色んな目に遭うと、だんだん挫折や失敗が怖くなくなってきますよね。今の人は怖がり過ぎる気がする。
ヤマザキ これを言うとまたヤマザキさんの貧乏自慢が始まったと言われそうですが、私は父親が早くに亡くなり、音楽家の母は留守ばかりしていましたから、早いうちから孤独に慣らされてきましたし、イタリアに留学してからは本当に一生分の辛酸を舐めました。あらゆる裏切りと失望の連続でしたが、現実世界との対峙による容赦ない体験が、漫画の創作や今の自分の思考の原動力になっていると感じています。苦しさは乗り越えさえすればメンタルという土壌への良い肥やしにはなってくれる。逆に不条理を避けていくと人間は脆弱になる。自分を弁解するような言い方になりますが、人間も他の生き物と同様に、生きる過酷さを知ることを避けてはいけないようにできていると思うんですけどね。
ニコル うんうん、失敗を繰り返していると、脳が鍛えられるというか、もしかすると脳の中に何かが形成されるのかもしれない。
P161
ヤマザキ 人間には不安という感情がありますね。この感情も私は一種の想像力が生み出したものだと思います。思い通りにならない顛末を含む生きる恐怖、そして死。予測ができない不確実な顛末との共生を、不安と名付けることで、私たちはなおこの言葉の呪縛に囚われるようになってしまった。
ニコル 今、アメリカやイギリスを見ていると、若者たちの不安をすごく感じます。パンデミックが原因といわれていますが、私は前からあった不安がより顕在化しているのだという気がする。・・・
それで、アメリカの若者はみんな葉っぱを吸ってるんです。アメリカではマリファナは違法じゃないし、どこでも店で売ってます。それがいい悪いは別として、そういう姿を見てると、シャーマニスティックな世界に戻りつつあるんじゃないかという気もします。
ヤマザキ そうですね。先ほどのアルタミラの洞窟じゃないですけど、ケイブ(洞窟)時代に戻っていきそうな気配が漂ってますね。結局どんなに文明が進化しても、人間は見えないものが怖い。予測の立たないことが不安。シャーマンという神とつながっているとされる人の存在は、文明がこれから先どんなに発達することがあっても、おそらく払拭されることはないでしょうね。・・・
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ニコル そういう政治や世界情勢の話をしていると暗くなるばかりなんですが、希望がなくもない気もしているんです。若い人と話していると、すごく面白いことを言っていて、いい大学行ってもいるのに、就職することにあまり興味がない。そういう傾向を見ると、もしかしたらちょっと未来に希望が持てるかもしれないという気がします。
ヤマザキ うちの息子の周りは東大や東大大学院出身の友人が多いのだけど、就職してもやめたり、今はプー太郎という人もいて、今はそういう時代なんだなあと感慨深くなりました。野心がないんですよ、勉強ができてもそれをひけらかして威張るとか、そういう意識が全くない。官庁に就職したのにやめて、今は家賃一万円のボロアパートで動画でお金を細々稼ぎながら生きているという東大出身の友人もいるらしい。時代の移り変わりを痛感しています。
ニコル 勇ましい(笑)。
ヤマザキ 彼らには結婚願望もない。同棲している彼女がいるけど、それぞれ好き勝手なことをして生きている。・・・形式に拘束されたくないらしい。だから皆そんな暮らし方でも充足しているんです。今までの勉強すれば幸せになれるっていう夢の公式は、確実に崩れつつある。
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昔と今とは、幸せというものに対してのコンセプトが全然違うんですよ。・・・無職でもそれが幸せだというなら、それこそ自由という解放を謳歌しているということになるじゃありませんか。
P208
かくいう私もSNSの書き込みに翻弄されることはしばしばある。つい先日も、自分のTwitterに私を誹謗するような言葉が書いてあるのを見て、しばし悶々となり、そばにいた息子のデルスに思わず、「こいつ言いたいことがあるんだったら堂々と目の前に現れろってんだよ、ああむかつく、腹が立つ」と、憤懣をぶちまけてしまった。すると息子は私の憤りを全く無視してこう言い放った。「あのさ、今、母が僕に愚痴った三十秒、何も考えずにぼんやりして過ごしたほうが、どれだけ有意義だったと思う?ばかばかしいよ、その怒り」。
無鉄砲に生きてきた親に振り回され続けた息子のほうが、私よりずっと達観していた。はい、すみません。おっしゃるとおりですと、私は素直に反省した。
うちの母がよく言う口癖が三つある。「なるようにしかならない」、「大したことじゃない」、「ばかばかしい」。この三つの口癖で彼女は人生のあらゆる局面をすべて片づけてきた。私が何か相談事をもちかけても「そんなの大したことじゃないわよ」「考えてる時間が無駄。ばかばかしい」で終わり。こうしたやり過ごし方も、ある意味人生を俯瞰で捉えてストレスをため込まない彼女なりのサバイバルだったのかもしれない。この論法で行くと、SNSに書き込まれた悪口など、「ばかばかしい」の一言で片付けるのが正解なのだが、私はまだそこまでドライにはさばけないでいる。
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・・・反知性の輩と人間の凶暴な側面に勝てるのは、唯一、鳥瞰的に物事を見下ろせる知性、ユーモアのセンスなのではないかと思う。ふと高いところに視点を移すだけで、我々人間どもがいかに驕りに満ちた卑小な生き物かがよく見えてくる。たったそれだけの心がけで気持ちには余裕が出て、うまくやり過ごす、あるいはうまく切り返す表現が見つかるはずなのだ。と、私も日々自らに言い聞かせている。