地球、この複雑なる惑星に暮らすこと

地球、この複雑なる惑星に暮らすこと

 養老孟司さんとヤマザキマリさんの対談本を読みました。

 自然とのつながりについて、いろいろと思いが巡りました。

 

P30

養老 僕が高校三年生の時に鎌倉の路地を歩いていたら、おふくろの知り合いのおばさんに会っちゃったの。「あんた、今何してるの?」って聞かれて、「大学に行こうと思ってます」って言ったら、突然真面目な顔で、「あんたね、大学に行くのはいいけれど、行くとバカになるよ」ってしみじみ言われて。当時はそういう偉いばあさんがたくさんいたんですよ。ばあさんたちは大体学校に行かなかった。でも知恵がありました。

 

P235

マリ お金がいくら人間が生きる上で拠りどころとなる、宗教の信仰的対象のようなものだとしても、常に俯瞰で捉える必要を忘れてはならないと思います。人間という生物は自分たちが文明で編み出したものに驕り、客観的な思索に対して怠惰になったらもうそこで終わりなんだという気がします。

 デルスのハワイ大学の工学部だけの卒業式で、ネイティブハワイアンによるハワイの神へ捧げる壮大な祝詞のあとに、学部長が行ったスピーチが印象的でした。

「あなたたちが学んだのは自然を破壊することではない。まして戦争することでもない、使い方はきちんとわきまえてエンジニアになりなさい」というような内容でした。

 エンジニアという仕事は人間の文明力を暴走させるものであってはいけないし、人間はテクノロジーよりも知性をまず十分に修練させなければならない。そんな彼の話を聞いているうちに、私は古代ギリシャソクラテスが言っていた「人間の卓越性とは徳であり、その徳を磨いてよく生きるために、人は真理を追求するべきである」という言葉を思い出さずにはいられなくなりました。これは人間という知的生物が地球という惑星で生きていく上で、絶対に忘れてはならないことだと思います。

 

P237

 私は自然が好きで、自然は当たり前だが、人工ではない。ああだ、こうだと考えて、しつらえるものではない。マリさんは、人として、自然に近いタイプの人である。将来の目標を掲げ、奮励努力して、一歩ずつ目標に近づく、という人生を送ってはいないと思う。周囲の状況の中で、なんとか生きているうちに、結果としてこうなってしまった、というお人柄である。私の周りには、その手の人が多いような気がする。そういう人に私自身が好感を持つからであろう。

 現代はシミュレーションが流行で、自分の人生を計画的に自己実現などと称して生きようとする傾向があるように思う。しかし、自己とは初めからあるものではなく、与えられた状況の中で生きて行くうちに、いわば「ひとりでに」できてくるものであろう。私は八十歳の半ばになるが、今ではそう思うようになっている。換言すれば、人生は要するに「成り行き」なのだが、この対談でもその感じが出ていればいいなあと思う。・・・