とらわれない生き方 母として

とらわれない生き方 母として 「いいお母さん」プレッシャーのかわし方

 ヤマザキマリさんのエッセイ、どれを読んでも、真っ当だなぁと思います。

 

P32

 うちの子が生まれたときは、ただただ嬉しかったです。早くこの子と生きる可笑しさや喜びを経験したいという思いが湧き上がりました。

 この世を楽しめるかもしれない人間がもうひとり生まれた!すごい!

 そんな感覚でした。この子はこの子でいろんなことを経験していくだろうけれど、それらのことを大人になってから語り合って、笑い合いたい。だから、早く自立してもらいたいとも思いました。いわゆる「子育てはこうしなきゃ」といった母親的な心の準備は、まったくしてなかったですね。

 私の場合は、予期しない妊娠でした。

 17歳で油絵の勉強にフィレンツェへ渡り、極貧生活の末に家を追い出され、住む場所すらなくなるという経験をしていましたから、妊娠がわかったときは「こんなくそったれな世の中の、こんなどん底にいる私のお腹だって、この子、わかって来たのかね?」と悶々としました。毎日コツコツ稼いだお金を持ち逃げされたり……なんてこともいろいろあって、もう、人間が大嫌いになっていた時期だったんです。でも、「産まないのは間違いだ」という感覚はありました。

 ・・・

 自分の胸にわが子を抱えて考えたのは、「この〝人間くそったれ社会〟を隠すことはできないし、逃げて通ることも無理。この子もこれから大変な目に遭うだろう。でも私は、必要最低限『生まれてきてくれて、ありがとう』ってことをこの子に伝える。人生は楽しいんだってことを、身をもって教える。幸せになる権利は、誰にだって絶対にあるんだ」ということでした。

 人生のどん底の中でもどこかでは、それまでに自分が経験した楽しかったことを思い出してたんですよ。この子にも楽しいと思えることでさんざん楽しませてやろうという気持ちが芽生えてました。

 生きていれば、誰であろうと、人は嫌な目には遭っていく。それを治せる傷薬や免疫力を自分の中につくるためにも、楽しいことは必然である。

 私が子育てで大切にしたのは、それだけです。あとのことはどうでも良かったです。とにかく、「あなたは生まれてきて良かった。生まれてきたからには、きちんと幸せに生きましょう」ということだけでした。

 

P51

 自分がいいお母さんか悩む時間があるなら、その時間に本を読むなり、映画を観るなりすればいい。特に本はすごい力になります。とにかくあんまり、どういう母親であろうとか考えないのがいいです。自然にあるべき姿が、あなたの姿なんですから。

 ・・・

「できません」と言えばいいんですよ。そんな、ねぇ。なぜ周りが求めるものになろうとするのか、という話です。

 巷の話を聞いていると、日本の人は基本的に、周りの期待に応えるために生きているんじゃないかと思うときがあります。自分で道を見つけて進むのではなく、周りの期待に応える自分に幸せを感じている。でもね、周りに要求されることに合わせていると、やっぱりどこかに無理がかかるんですよ。

 周囲の期待に応える生き方から抜け出すのに必要なのは、勇気です。

 私自身も、おかげさまで『テルマエ・ロマエ』という面白漫画がヒットし、ずっと描き続けて欲しいという期待をもらいました。でも、『プリニウス』というコメディではない古代ローマの漫画を描き始めたんです。「もっとテルマエみたいなのが読みたかった」とか言われたりもしましたが、自分の意志が間違っていたとは思ってないです。・・・

 周囲からのプレッシャーや期待に応えるか応えないかは、自分で選択できることなんですよ。