パンデミックの文明論

パンデミックの文明論 (文春新書)

 ヤマザキマリさんと中野信子さんの対談本。

 初めて知る歴史の話も多く、興味深く読みました。

 

P33

中野 一度お聞きして確認してみたかったんですけど、日本で「みんなと同じようにしなさい」と教えられるのと対照的に、イタリアなどヨーロッパの学校では、「みんなと同じことをしたらバカですよ」と教えられるのではないですか?

 

ヤマザキ そうですね、人と同じことをするのは想像力の欠如とみなされますから。学校の口頭試問でも人と同じことを言うと良い点はもらえません。個性や独立心を重視する。長いものに巻かれない人が評価される世界です。・・・

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中野 日本は流動性が低いという特徴を持つ社会なんですよ。コミュニティを出たり入ったり移動したりすることが長らく、そこそこ困難であった社会です。流動性が低い場合に生き抜く最適戦略は、コミュニティの人々の意見に逆らわず、みんなの言うことをとりあえずは聞くこと。なぜならば、流動性が低いがために、すぐに来歴がわかってしまうからです。一度何か問題を起こしたら、それが十年、二十年、何年経っても烙印として残ってしまう。その後の自分に対する評価はもちろん、子や孫の代までそれは残る。子孫のことまで気にしながら自分の振る舞いを律して生きなきゃならないわけです。

 

ヤマザキ 大陸ならよその土地へ流れていけますからね。イタリアは半島ではあるけど、古代ローマ人たちは道や海路を伝ってその先へ向かって行った。

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中野 日本だけに限って見れば、実をいうと地域によって流動性が高いところ、低いところがあるんです。それに伴って気質も違ってくると考えられる。流動性の低さでいちばん顕著なのは北東北の内陸部です。その証拠といえるかどうか、岩手県ではいまだ一人の感染者も出していません(二〇二〇年七月十四日現在)。

 

P51

ヤマザキ 私が思うに、古代の人は感染症を天災と同じように捉えていたのではないでしょうか。日本人にもそれは当てはまりませんかね。一言でいうなら「しょうがないな」と―。一方で、中世からヨーロッパでは感染症を敵だとみなすようになり、・・・ああいう解釈は人間至上主義でなければ発生しないかなと。・・・

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 平安時代に「融通念仏」を唱えた良忍の絵巻物(『融通念仏縁起絵巻』)にも、こういうのがあるんです。道場で人々が念仏を唱えていると、門前に色とりどりの妖怪たちが集まってきたところを、門番だか門弟だかが説得している絵なんですが、「今、念仏を唱えている人たちにだけは病をうつさないでくれ」と。つまり、妖怪の正体は疫病なんです。すると妖怪たちは仏事に参加している人の名簿に「悪さをしない」とサインをして、引き下がったというのです。

 

中野 それは面白い。お願いすれば、疫病は聞き入れてくれる、と考えるんですね。

 

ヤマザキ ヨーロッパの、骸骨が鎌を振り回す地獄絵図とはまるで違うでしょう。

 

中野 感染症に対する捉え方がまったく違いますね。戦う相手だから「マスクをすることが『負け』になる」という欧米の感覚も、こういう背景を知ってから現象を読み解くと、とてもよく理解できますね。日本人にとってはマスクをするのも、疫病に見つからないように顔を覆う、という感覚と近いところがあって、受け入れやすいのかもしれない。疫病をもたらす妖怪とは、ネゴシエーションすることでやり過ごそうという日本のやり方は、実に「ウィズ・コロナ」的で、無意識的にではありますが、意外に洗練された向き合い方なのかもしれないと感じます。