仕事にしばられない生き方

仕事にしばられない生き方(小学館新書)

 ヤマザキマリさんの本を読むと、力をもらえたり、何かふっきれたりします。

「あの人も、この人も、自分の場所で今日も働いている」・・・何気ない一文が響きました。 

 

P9

 ・・・『スティーブ・ジョブズ』や『プリニウス』のような、しばりや壁があっても、そこに意を介さずわが道をゆく人達を描いてきたからでしょうか。

 何をしていようと、私は私、空を飛ぶ鳥や海を泳ぐ魚と同じ、この地球上に生き物として生まれてきたのですから、もらった命をできるだけ謳歌したい。迷った時は、いつも、そう思ってきました。どんな時も、私にとっては、それがいちばんの基本。

 こんな時代ですから、どんな仕事も、いつまでやれるかはわからない。そうなっても、やっぱり人生は続いていくんです。だとしたら、どんな場所でも生きていける自分でいたい。漫画家になって20年以上経つ今も、私の中にはそういう気持ちがあります。

 たとえば5年後、10年後、漫画家をやっているかなんてわからない。注文が来なくなったら即失業ですから、どこか違う国でまったく違う仕事をしていることだってありえる。

 そんなふうに思っているせいか、街で仕事をしている人を見かけると「自分にあの仕事はできるだろうか」と、いつも何気なくシミュレーションしてしまいます。あの人も、この人も、自分の場所で今日も働いている。それは、もしかしたらいつかの私かもしれない。そう思って見ると、どの人の横顔もどこか誇らしく見えるのは、越えてきた昨日があるからでしょう。

 

P66

 ・・・人間というのは不思議なもので、生命の危機を感じると普段の自分からは考えられない力を発揮することがあるんですね。いわゆる火事場のバカ力というのでしょうか。崖っぷちに立たされたからこそ、切り抜けるための奇策が生まれる。

「助けてよ、自分」

 とっさに、そう思いました。

 ほかに頼れる人がいなかったから、そう思うしかなかったのです。

「頼むよ、自分」

 今、ここで頼りにできるのは、ほかの誰でもない、自分しかいない。「助けてよ、自分」「頼むよ、自分」、人には「神様!」と祈る代わりに、そう祈るしかない時があるのかもしれない。追い詰められて、どうしようもなくなったあの時、私は初めて「自分を支える、もうひとりの自分」を発見したのです。そして、それは今に至るまで私を支えることになる大発見でした。

 14歳のあの時の私が、心の中のもうひとりの自分を意識することで、目の前の困難を乗り越えていくことができたのは、自分自身を俯瞰することができるようになったからだと思います。

 何があろうと、どこかで私のことをじっと見ている、もうひとりの私がいる。自分は自分を見放さない。

 そう思うと、強くなれたし、なんだってできる気がしました。不安な気持ちに飲み込まれそうな時も、自分自身の核にある本質は変わりはしないのだからと、どんなことでも乗り越えていける勇気を持つことができたのです。