しごととわたし

しごととわたし

 しごとつながりで・・・10年位前の本ですが、興味深く読みました。

 

俳優の渡辺真起子さん

P92

 三十歳になったぐらいかな。自分の中で「仕事の目星がついた」と言ったら変ですけど、スタンスが決まって、「ここからだったら人のためにも生きられる」って思えた瞬間があったんです。それまでは何かを決めるときはいつも二者択一だったんだけれど、「仕事」と「家庭」、その両方を大事にしたい、できるんじゃないかって思えた瞬間が。

 そのときは同時に、「大切なひとりの人と年月や関係を積み上げてみたい」という気持ちも芽生えていました。若い頃は特に、安心するとお互いに飽きてしまったりするじゃないですか。それまで何人かのボーイフレンドと付き合う中で、三年や四年で関係が変わってくることが経験としてわかり始めた頃で。次はそれを繰り返すのではなく、できるだけ長い時を積み上げたかった。だからまずは十年、一緒にいてみようと思ったんです。そうやって一度やってみて「やっぱりできなかった」ってわかってもいいんじゃないか、という気持ちで結婚しました。

 実際に結婚してみると、いいことも悪いこともあったけれど、その大変さは悪くはなかったし、仕事にとても協力的なパートナーで恵まれていたと思います。そのあと諸事情があって残念ながら離婚することになったんだけど、今でも特別な存在には変わりないんですね。私たちの今の関係は、いわゆる「憧れの夫婦」とか「世の中で一般的な家族の形」ではないかもしれないけれど、それを誰かにいいも悪いも言われたくないし、この関係性には、これからも誠心誠意尽くしていきたいと思っています。

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 私は人に対しても自分に対しても、そんなふうにできる限り正直で誠実でありたい。それが物事を決めるときの、私の一番の基準かな。そのためにも、ない知恵を振り絞って、虚弱な身体を酷使して、やらねばならないことを一生懸命やっていく。そうやって、いろいろな関係や問題から逃げずに生きていきたいです。

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 私の友人が、子どもを産んだときに「まきちゃん!みんなで一緒に育てようね!」って言ってきて、思わず笑ってしまったことがあるんです。実際はもちろん彼女が育てていくんだけど、そう言われるとできることは手伝いたいと思えるし、そういうことをケロッと言ってしまえる明るさやユーモアのようなものも大事にしたい。

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 二〇一三年八月十七日、渡辺真起子さんと、渡辺さんの母・美恵子さんによるトークショーが開催されました。「仕事と育児を両立できる社会を目指して声を上げてきた」という美恵子さんと、その背中を見続けてきた渡辺さん。

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母 ・・・学童保育をリタイアしてから、「地域福祉」っていうとちょっと大げさなんですけれど、「お子さんを持ったお母さんたちが、安心して子育てできるような街だったらいいなあ」って思って。そんな街だと、年寄りもゆっくり楽しく生きていけるね、っていうようなことから「ふれあいの家 おばちゃんち」っていう名前をつけてスタートしました。

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渡辺 ・・・「忍者ごっこ」とかなんですよ。実家に帰ると忍者の衣装がこう、ぴゅーっと置いてあるの。「お母さん、これ何してるの?」って聞いたら「忍者ごっこ!そこの公園で!」って。いい大人たちが「すっごい楽しかった!」ってニコニコしてるの。楽しかろうよ、っていう(笑)。

母 うふふ。ちっちゃな子どもたちが頭巾をかぶって、知らないおじちゃんやおばちゃんに声を掛けるの。そしたら「合い言葉は!」って言われるから、子どもたちが「おばちゃんち!」って答えると、「じゃあ君たち、この中に手を入れて、何が入ってるか触って当ててごらん」って。たわしが入ってたりするのね。

 なんだかね、街の大人たちが子どもに「どんな大人に出会っても人さらいだと思え」なんて教えるんじゃなくて、「困ったときには大人が助けてくれる」って思えるような街づくりをしたくて、そのひとつの具体的な形なんですよ。世の中にね、虐待だとか、イジメだとかがたくさんあって、そういうことが怒涛のようにテレビで報道されるけど、「自分の暮らしている街は安全」っていうのを、みんなの力を合わせながらできたら街の空気も変わるかな、って思ってやっています。

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渡辺 ・・・俳優の仕事の面白さで、「ネガティブなものも表現できる」っていうのがあるの。だから、私はたくさんダメな人も役もやってるの。ダメなお母さんとか、ダメなホステスとか。本当にどうしようもない人たちの役なんだけど、「でもこの人たちだって生きてるんだよなー」って思いながら、肯定するように寄り添っていく体験をしているとね、なんか割と、そういう生き方を認められるようになってきたの。そんなにみんな上手に生きていないし、そういう人を否定的に見る人もいれば、支えたいと思う人もいる。そういうふうに考える体験ができたという部分では、随分役に助けられたりしましたね。

 

コーディネーターの大塚博美さん。

P161

 活動の拠点は「絶対にパリがいい」というわけでもなく、たとえば東京でもよかったんですけど、もうちょっとわけのわからない、「こんなことが起きるの?」っていうことに出会いたかったんです。パリではそういう出来事に出会いまくっていますね。このあいだも、ガスが壊れているのに一ヵ月以上も修理に来てくれないから、入会していたジムのサウナに毎日通っていました(笑)。仕事関係では、撮影の前日に前々からコンファームしていたモデルに急遽キャンセルされるなんてことがよくあります。こちらの仕事よりも大きな仕事が入れば、簡単にそっちを優先しますから。

 でも、そうやってギリギリでダメになるときは、最後に決まったほうが絶対に良くなると信じています。だから、「ダメ」って言われたら「よかった」と思うし、すがりません。それでほかを探し始めるといいモデルがたまたま空いていたりして、結果的にクライアントも喜んでくれて「二百点!」みたいな。うまくいかないときは何かが違っている。そういうときはギリギリでもやり直します。

 

作家のよしもとばななさん。

P201

 二十代の頃に一度、付き合っていた人と入籍するかどうか迷ったことがあったんです。私はそういう形式に興味がなかったわけですが、彼から「入籍したい」といわれて、両親に相談したんですね。そしたら、父と母、わざわざ別々に相談したのにふたりの答えは同じで、「籍を入れるなんて、ろくなことじゃない」と(笑)。うちの両親は駆け落ち婚だったんですけれど、そのとき母が、前夫になかなか籍を抜いてもらえなくてとても苦労したみたいで。結局、私も入籍はしないことに決めました。両親の「ろくなことじゃない」という考え方は特殊な価値観なのかもしれませんが、その内容というよりも、両親それぞれが「自分はこう思う」という意見を持っていたことに、私はすごく救われましたね。

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 よしもとさんは、父の隆明さんから生前、「よい家庭をつくるのが、結局一番だ」と言われたことがあったという。「結婚」という制度を前提としないよしもとさんの考える「よい家庭」とは、一体どういった家庭なのだろう。そして、そうした家庭を維持するためには何が必要なのだろう。

 

 私は、父の言っていた「よい家庭」というのは「フレキシブルな雰囲気があること」だと解釈しています。それにはもちろん、一般的にいわれるような、家族のためにご飯をつくる、掃除・洗濯をする、といったことも含まれているとは思いますけど、何より大事なのは、人が急に来たときに「どうぞ上がってください」と言えて、実際に受け入れられる雰囲気があることだと思うんです。

 私も、父とその話をして以来、「小説だけが人生だ」なんて思わなくなりました。別に、前からそう思っていたわけではないんですけど、より一層、自分の人生に占める小説の割合が減ったというか。自分が作家であるということに、寄りかかっていてはだめだなと思うようになりましたね。

 私も家事はしますけれど、いつも適当です。みんな一生懸命やり過ぎなんじゃないかと思うんですよ。「どうしてそこまで、心を込めながら家事をしなければならないの?」って聞きたくなるくらい。もちろん、お部屋がいつもきれいに片づいているのは素晴らしいことだと思いますけど、「きれいな状態を維持する」ことが目的になって、家庭がギスギスした雰囲気になるようなら考えたほうがいいですよね。私が男だったら、どんなに家が片づいていても、ギスギスしてる家には帰りたくない。汚くて気楽な居酒屋に行っちゃいますね(笑)。