注文に時間がかかるカフェ

注文に時間がかかるカフェ たとえば「あ行」が苦手な君に (一般書)

 

 すばらしい試みだな~と思いました。

  注文に時間がかかるカフェ | Slow Order Cafe

 

P22

 注文に時間がかかるカフェ(以下、注カフェ)は、ネーミングから想像するしくみとはだいぶ違った。

 まず金を取らない。原則として、ドリンク、フードは無料だ。

 また、どこかに決まった店舗があるわけではない。大学、施設、商店街の一角、個人経営のカフェやイベント会場。どこへでも出張し、一日限定カフェを開店する。

「やらせてください」と注カフェ側から頼むのではなく、吃音を持つ若者には接客という経験を通して自信を、来場者には交流を通して吃音についての理解を、という注カフェの目的に賛同した個人や団体からの依頼によって、カフェごとにプロジェクトが立ち上がる。つまり、主宰者は招聘側だ。注カフェは、奥村さんが発起人を務める活動であり、NPOでも会社でもないのである。

 このシステムの全容を理解するのに、意外に時間がかかった。

 客は、誰でも参加できるが、人数に上限がある。開催地もぎりぎりにならないと告知されない。奥村安莉沙さんは理由を語る。

「利益を上げるためのものではなく、主役は接客をする吃音の高校生や大学生です。ゆっくり接客できるようお客さんは予約制が基本で、一時間一〇名を目安にしています。早くから告知して人が殺到すると、スタッフにも、来ていただいた方にも迷惑がかかり、いちばん大事な接客体験が十分にできないので、お知らせもギリギリなのです」

 

P87

 現在は大学で朝から晩まで、吃音啓発の研究に打ち込んでいる。

「注カフェに参加する二、三カ月前の自分からは、想像もつかない人生になっています。大学ではボート部に入りました。自分からどんどん話しかけてます。学科でたまたま隣り合った人にも。以前の自分は、こちらから話しかけるのは考えられない」

 注カフェ前を知る友達からは、「表情がゆたかになって笑顔が増えた」とよく言われるらしい。

 たった一日で人生が変わった。

 奥村さんは閉店後、中澤さんが発した言葉が忘れられない。

「奥村さん。人と話すのってこんなに楽しいものなんですね!僕、知らなかった」

 

P216

「せっかく、注カフェに参加したのに、全然接客ができなかったということには絶対したくない。そういうことがないよう万全の注意を払っています」

 これだけはと思っている信条はなにか尋ねたときの奥村さんの返答だ。まっすぐこちらを見て、毅然とした口調だった。

―たとえばどんなことでしょう。

「高校生や大学生だと、時間に遅れることもしばしばあります。遅れて入ると誰でも気後れするし、罪悪感で気持ちが落ちやすい。だから責めません。そのかわり、集合時間は告げますが、必ず遅れた子のためにこちらで準備を講じておいます。在来線で二県も三県もまたいで始発でやってくる人も多い。寝坊しちゃったとか、彼らなりの理由がありますので」

 注カフェ香川では、最寄り駅から会場のキャンパスまで徒歩四〇分ほど。車で一〇分以上ある。若者は車の足がない。そこで運営スタッフの大人が、定時に車で迎えに行ったが、「遅れる子もきっといると思うから」と、奥村さんは一五分後に第二陣の車をあらかじめ依頼していた。結局、遅刻者はいなかったが、そんな些細なことで、カフェの閉店までもしも気持ちを立て直せない子がひとりでもいたら悲しいという彼女の切実な思いが伝わる方策だと思った。若者の繊細さを把握しているからこその気配りだ。

「私は暇ですから、前日でも当日でもいつでも何でもメールをください」と、必ず最終ミーティングでは言い添える。注カフェの前夜に、<声が出なかったらどうしよう。不安でたまりません>とメールしてくる若者がいるからだ。

「勢いで応募しても、本番が近づくほど不安になりやすいものなんですよね。なにしろ、ほとんどの子が、人生で初めて接客をするんですから。それと、自分を振り返ってもそうですが、若い子は、吃音があることで悩みのループにもはまりやすいので」

〝応援してるよ〟も、〝頑張って〟も言わない。「大丈夫だよ」といくら言っても、吃音はなくならず、ほっとできないことは自らの体験で織り込み済みだ。

「喋れなかったらどうしようと不安になる子に、精神論は通用しません。それより具体的な提案をします。ホワイトボードを持ってお客様に接するのはどうかな?とか」

 親でも友達でも先生でもない。

 世界にひとり、吃音の自分の理解者がいるという安心感は、奥村さんが子ども時代に絶対に手に入らなかったもの。だから、夜中二時まで人生相談が続いても、ビデオ通話を切れない。

「先週も、夜中まで話していて、切り際に〝こんな感じで月に二回くらい電話してもいいですか?〟と言われて、さすがに睡眠時間があーと、心のなかでツッコミを入れました」

 肩をすくめて笑う。幼かったころほしかったものを整えて提供することで、自身も癒されているのかもしれない。

「全品無料には、ふたつの理由があるんですよ」と彼女が明かした。

 有料にすると、地域ごとに営業許可が必要になるため。

 もうひとつは、有料にして、仮に品質が客の思っていたものと違ったりすると、もしかしたらクレームが来るかもしれない。カウンターで文句を言われたり、客の感想ボードに書き込まれたりしたら、どれだけ傷つくことか。

 あらゆるクレームから、カフェスタッフを守りたい。失敗したらどうしようというプレッシャーをできるだけ下げたい。だから飲み物はできればペットボトルでいいし、無料がマスト。「社会に出る練習価格。だから〇円なのです」。