まるごと一冊コーヒーゼリー。
写真を眺めていると、ちょっと涼しくなりました。
P146
コーヒーゼリーのために考案された器がある。
1975(昭和50年)に、ガラスの日常食器のメーカー『スガハラ』の、オリジナル商品第一号として発表された「#330」だ。品番そのままなのでやや味気なくはある名前だ。
全体に丸いフォルムで、斜めにされた口がそれを引き締めている。
短い脚はどっしりと太い。ガラスがたっぷり溜まって、文鎮みたいに重たい。そのおかげでとても安定している。スプーンを器に入れたまま手を離しても、器が倒れたり、スプーンが落ちたりする心配はない。
容量は180㏄で、ちょうどコーヒーカップ1杯と同じくらいだ。
丸みとシャープな直線、冷たく透き通った素材、なんとなく、宇宙への夢をかきたてるSFの読後感を想起させられた私だ。1970年代という時代の空気もそのまま封じ込められているためだろうか。
この器を作り出したのは『スガハラ』の会長である菅原實さんだ。
「実は偶然でしてね。私の息子、今の社長が3歳くらいのとき、家族で千葉の喫茶店に行ってね。初めてコーヒーゼリーというものを注文したわけなんです。サンデー用のグラスで出てきました」
食べづらいなあ、スプーンで掬いにくいなあ、という感想を實さんは持った。ちなみに、器に直に流し固めたスタイルのゼリーだったそうだ。
ちょうど實さんは、グラスの水平の口を斜めに切ってみて、これをなにかに活かせないものかと考えていたときだった。斜めに切るという形は、口を付けて飲むよりもスプーンで掬うのに適している、と實さんは思い当たった。また、底を肉厚にすれば掬いやすいと。
コーヒーゼリー専用、と謳った器はそれまで世にはなかったという。
「これがきっかけで、一気にオリジナル路線に弾みがついた、記念すべき商品なんです。今でも現役で生きてる。かなり長寿です」
「#330」の傾斜は9℃。計算して割り出したわけではなく、。だいたいこのくらいがいいかと勘で切ってみた値だという。
「斜めに切るというのはけっこうたいへんなんですよ。普通は、徐冷というゆっくり冷ます工程を経ましてね、冷めた後に切って、擦って、火で磨くんです。それだとまっすぐにしか切れない。これは吹いた直後に炎で斜めに焼き切るんです」
・・・
「当時は純喫茶の全盛期ですから、手作りとしてはびっくりするくらいの数が出ました。年間、おそらくこのシリーズで8万個は出ました。作っても作っても間に合わないくらいでした」
色は透明なものと、アンバー、イコール琥珀色の2種類を用意していた。
「当時は喫茶店では、アンバー色が流行ったんですよ。特にシュガーポットはものすごく売れたんです」
・・・
『スガハラ』は、1932(昭和7)年に東京都江東区亀戸で創業し、1961(昭和36)年に、ここ九十九里に移ってきた。
・・・
当時は、問屋から注文を受けた品を作るのが主だったが、第一次オイルショックを機に方向を大きく変える。「#330」の発売前年に、社内に「開発研究会」を立ち上げた。
「毎月欠かさず、仕事終わってから夜9時くらいまで、職人がデザインを持ち寄る。今も続いています。なにが幸いするか分からないですよ。世に言われる、ピンチがチャンスということです。うちの場合、上手くほんとのピンチを生かすことができた。自由にものを作ろう、作りたいものを作ろうということになったら、今までは言われたものしか作れなかった職人たちも、面白くなっちゃって、いろいろなものが出てきて。ヨーロッパの作りかたやなんかは、盛んに行って研究しましたけど、デザインは絶対に真似せず、ヨーロッパにないものを作ろうと、やってきたんですよね。うちで開発してうちで売る。そうでないと生きられなかった」
色やサイズのバリエーションを含めると商品は今では4000種を数える。当初は25人だった職人は、今では30人と、規模はそれほど変わらない。大きな炉を取り巻いて日々ガラスを吹いている。
「どんなものが流行るか、とか、市場調査はあまりしていません。日常使えるもの、というのが唯一のテーマです。毎日使われてこそ、はじめて価値がある」