身体の聲

身体の聲 武術から知る古の記憶

 甲野善紀さんの本を読んでいて、この本のことを知り、読んでみました。

 興味深かったです。

 

P62

 いい大学へ行き、いい会社に勤める。

 私が高校生だった一九八〇年代後半から九〇年代前半は、そうした幻想がまだ信じられていました。

 そのような生き方は息苦しくてたまらなく、自分には到底無理だと思い、海外へ行こうと考えていました。

 ・・・ちょうど両親がハワイへ移住することになっていたこともあり、これ幸いと日本を出てハワイで生活することにしました。

 そこで当時学んでいた大東流合気柔術を「ハワイで教えてみませんか」と岡本正剛先生から声をかけていただき、武術の指導も十九歳から始めました。

 ひょんなことで始まったハワイでの生活は十年余り続き、この体験が土着文化の役割や文明のもたらす身体・文化への変化、多文化間のカルチャーギャップなどを知る上で非常に重要な人生の一ページになったと言えます。

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 ハワイで暮らすうちに、日本であれほど感じていた、真っ当な生き方や「こうしなければいけない」といった社会からのプレッシャーは全くなくなりました。

 メインストリームではない人たちとのつき合いがあったせいもあるでしょう。

 私は、「ハワイアン・ホームランド」といってハワイアンの血縁しか住めない地域に、伝手があったので一年ほど住んでいたことがあります。

 そこはハワイの貧困層が多く住む場所でもありましたが、常夏でヤシの木があるので荒んだ雰囲気はありません。

 あくせく働かなくても、そこらへんにバナナがなっていたり、海もすぐ側にあり魚介類も獲れるし、しかも毎週どこかで知り合いが半野外パーティをしているから食べ物には困らない。

 そうなると世の中の細々したことなんてどうでもよくなります。一生このままでもいいかなという気分にさせられました。

 その地域に住んでいて誰かの家に行くと、親が誰だか分からない子もたくさんいました。

 高校に行きながら子供を産んで育てている子や、その子の姉妹兄弟や従姉妹は皆が異母兄弟だったり異父兄弟だったりすると、誰が誰であろうと関係性はどうでもよくなります。

 ・・・多くが日本で信じ込まれているモラルや家族の形ではないところで生きていました。・・・

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 日本社会が息苦しいと感じていた反面、移住したばかりの頃は、あまりにのんびりしているハワイの人たちに戸惑いました。

 最初の謎は彼らの「時間感覚」でした。

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 時間通りに物事を行うという考えがない、というより時間がない。

 無時間です。

 だから、どうやって予定を合わせていいかも分かりません。

 遊びに行くために待ち合わせの時間を決めようとして「いつにする?」と尋ねても、「イッツオッケー、エニィタイム(いつでも大丈夫)」と返されます。

 何がオッケーなのか分かりませんが、そこから一応時間を決めてもほとんどの場合、時間通りにはなりません。

 ロコと呼ばれる人たちは何事も感覚で決めるので、武術を教えるにも「決められた時間内にきっちり」というわけにはいきませんでした。

 時間は合わせるものではなく、合うのだとでもいうような感性が彼らには共通してあるようです。

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 ハワイはイギリスやアメリカなど西洋に進出される以前は無文字社会でした。

 文字に記すという客観的な伝達方法がないと、生活そのものが文化となります。つまりウクレレも泳ぎも生きてそこに暮らしていれば自然と身につくものでしかないのです。

 時間も自然に流れているもので、時計によって刻まれる客観的な時間と呼ばれる共有概念を重視し、それに合わせて動くことなど、彼らは感覚的に理解できません。

 ハワイでの時間は客観的なものではなく、朝が夜になるように移ろいゆくものでしかありません。

 ともかくハワイ語の語彙に「過去」や「未来」などはなく、❝ano❞という「今・現実・真実」の意味を示す語彙しかありません。