生き心地の良い町

生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある

 この海部町が、なぜか特出して自殺率が低いことから、何か理由があるのでは?と調査した経緯が書かれています。

 とても興味深かったです。

 

P45

 海部町コミュニティの多様性重視の傾向について、もうひとつ紹介したいエピソードがある。

 小中学校の特別支援学級の設置について、海部町と他町との間で意見が分かれているという話を小耳に挟んだことがあった。特別支援学級とは、知的もしくは身体的に障がいを持つ児童生徒に対し、特別な支援を行うための学級である。子どもたちの諸事情や成育段階に合わせ、異なるニーズに丁寧に対応する教育を目指すとされている。この特別支援学級の設置について、近隣地域の中で海部町のみが異を唱えているというのである。

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 ・・・海部町に住む知り合いの町会議員・・・は、特別支援学級の設置に反対する理由として、このようなことを言った。

 他の生徒たちとの間に多少の違いがあるからといって、その子を押し出して別枠の中に囲いこむ行為に賛成できないだけだ。世の中は多様な個性をもつ人たちでできている。ひとつのクラスの中に、いろんな個性があったほうがよいではないか。

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 海部町にまつわるこのようなエピソードに一貫してあるのは、多様性を尊重し、異質や異端なものに対する偏見が小さく、「いろんな人がいてもよい」と考えるコミュニティの特性である。それだけではなく、「いろんな人がいたほうがよい」という考えを、むしろ積極的に推し進めているように見えてならない。

 

P50

 ・・・人物本位主義とは、職業上の地位や学歴、家柄や財力などにとらわれることなく、その人の問題解決能力や人柄を見て評価することを指している。

 調査を開始した当初から、海部町コミュニティの特徴として人物本位主義があると感じていた。ただ、なぜそう感じたのかと聞かれると説明が難しい。なんとなく感じたとしか言いようがないのであるが、あえて説明を試みれば、地域住民の尊敬を集める人物にある種の共通点が見られたということだろうか。

 その人たちは一見したところ、ステレオタイプの「重鎮」「ひとかどの人物」の型にはまっていない。初対面の挨拶を交わしただけでは、つかみどころがない場合も多い。たいそう口が重く、大丈夫かなこの人……とやや不安を抱えつつ窺っているようなときも、それは最初の数分だけのことで、相手が私の質問の本質を誤らずとらえて実に無駄のない答えを返してくれていることに気づく。周囲がよく見渡せていて偏りがないことも、彼らに共通していた点である。なぜ彼らが地域で高い評価を得ているか、納得がゆく。

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 人物本位主義の傾向は、町の人事にも反映されていた。たとえば海部町の教育長の人選である。

 教育長は町の重役のひとつである。一般的には教育者として長年キャリアを積み、中学の校長を務めるなどしたのちに選任されるケースが多い。だが海部町では違った。これからの教育には企画力が重要であるとの考えに基づき、商工会議所に勤務していた四十一歳の、教育界での経験は皆無という男性が抜擢された。部外者にとってはちょっとしたサプライズ人事であるが、海部町では適材適所を検討しているうちにこうなった、という説明になる。

 今でこそ、教育界以外の民間人を校長に採用する公立校なども出てきているが、海部町のこういった人事は約三十年前から行われていたというのだから注目に値する。こうした方針を町のトップが代々引き継ぎ、年齢や経歴にとらわれない人事が続いていたという話である。

 

P71

<病、市に出せ>

 海部町での定宿である旅館のご主人から初めてこの言葉を聞いたとき、私のアンテナがふるふると揺れた。この町がこの町たる所以を理解するための、パズルの一片を見つけたような気がした瞬間だった。

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 ・・・これは町の先達が言い習わしていたという格言である。

 彼の説明によれば、「病」とは、たんなる病気のみならず、家庭内のトラブルや事業の不振、生きていく上でのあらゆる問題を意味している。そして「市」というのはマーケット、公開の場を指す。体調がおかしいと思ったらとにかく早目に開示せよ、そうすれば、この薬が効くだの、あの医者が良いだのと、周囲がなにかしら対処法を教えてくれる。まずはそのような意味合いだという。

 同時にこの言葉には、やせ我慢をすること、虚勢を張ることへの戒めがこめられている。悩みやトラブルを隠して耐えるよりも、思いきってさらけ出せば、妙案を授けてくれる者がいるかもしれないし、援助の手が差し伸べられるかもしれない。だから、取り返しのつかない事態にいたる前に周囲に相談せよ、という教えなのである。

「病、市に出せと、昔から言うてな。やせ我慢はええことがひとつもない」。彼の母親の口癖であったという。「たとえば借財したかて、最初のうちはなんとかなるやろと思て、黙っとりますわな。しかし、どんどん膨れ上がってくる。誰かが気づいたときには法外なことになっていて、助けてやりとうてもどないもできん、ということになりかねん。本人もつらいし、周囲も迷惑する」。

「じゃあこの格言は、リスクマネジメントの発想なんですね」私が言うと、「ほのとおり」。彼は力強く同意した。